2007年05月13日

40歳2カ月16日

キング カズ

が今シーズン初ゴールを上げた。

40歳2カ月16日のゴールも凄いと思うけど、そういう次元の問題ではなく、40歳を超えても現役で闘い続けられる心と体が凄い。

僕自身は今33歳と言うかほとんど34歳だから、それ以降の年齢で人間の体がどうなっていくのか体感したことが無い。ただ、20代後半から30代前半にかけての身体の落ちて行き方にはかなり含蓄がある(笑)とか言ってまぁ大したこと無いけど。

でもまぁ、5歳くらいから20歳くらいまでは猛烈に運動してたし、その後の週に1−2回はずっと続けてきた。まぁ、そんな感じで運動とか体力には相応に自信があったんだけど、30歳時にぎっくり腰(特に理由なし)、31歳時にもぎっくり腰(サッカー試合中に)を経験しすっかり弱気になりました。年とともに瞬発力は落ちるし、柔軟しないと怪我するし、膝が意味不明に痛くなったり、完全に癖になっている捻挫はサッカーの試合後には毎回腫れます。
そんな訳で、爺さんとしては、カズやゴンの偉大さが恐ろしいくらいに分かる、と言うか、凄すぎてどう凄いのか良く分からないくらい凄いことが分かる。
加齢に伴い体力の回復もどんどん遅くなるし、怪我の治りもドンドン遅くなる。

肉体的にも厳しいけど、精神的にもきっと厳しいはずだ。ピークを超えたら、あとは落ちていくことになるが、昔は届いた場所に足が届かなくなったり、昔はぶっち切れたDFをスピードやワンフェイントでは抜け切れなくなるのが普通。それはきっととても精神的に苦しいことだし、何とかして乗り越えなければならない問題になる。次々に出てくる若手の才能にも様々な想いを抱くだろう。そもそもかつては自分に注がれていた注目もスポットライトも減り続けるのは誇り高い一流選手にとっては決して愉快なことではないだろうし。

カズは本当のプロフェッショナルなサッカープレイヤーなんだと思う。
妥協無く準備して、妥協無く戦うし、チームの為に全力を注げる。
ファンの為に魅せることが出来るし、ファンの夢と希望を背負っていく気概がある。カズの生き様を信じる人たちをカズは裏切らない。
そこがヒデとの違いだと、僕は今にして思う。
カズは絶対に前向きだし、カズはサッカーを否定しない。
だからカズにはずっとサッカーと一緒に居て欲しい。

カズの時代が終わったと思ったことは確かに有った。
ヒデや俊輔が素晴らしいプレイヤーだ(だった)と言うのも知ってるし、ヒデも俊輔も僕は凄く好きなプレイヤーだ。

だけど、やっぱりカズには敵わない。僕にとってカズは日本サッカーの中で全てを超越した存在になりつつある。しかも非常に人間臭い存在としてだ。対抗出来るのはゴン中山だけかな。僕としては。二人ともいい歳だけど。

キングなんて言葉は、なかなか使えないし、今のカズはチームでキングじゃないしね。でも、キングカズ、は最高だと思う。

そして何よりそういう風に僕らに思わせてくれるカズが最高に格好イイ。
posted by Harvey at 07:40| ニューヨーク ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | サッカーにまつわること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

生きる姿勢

若いときは素のままで生きていきたいと思うものだ。

だが、年齢とともにそういう訳にもいかなくなる。

ある程度の年齢からは社会的な地位も出来てくるし、組織の中において部下や上司が居る中で、なかなか素のままでは居られないものだろう。

まぁその辺はオンとオフを上手に使い分けられるくらいの器用さとかそのくらいのフレキシビリティが無ければ、本当の意味で組織の長になるのは難しいということでも有ると思う。それが全てではないが、必要条件では有ると感じる。

今日、お昼を一緒に食べた知り合いと言うか、先輩と話していて一番感じたのはその辺だろうか。やっぱり弱音を見せずに何時も明るく楽しく生きている様に見せていくことも他人を引っ張っていくには必要だろうということだ。
そういうのが得意だったり不得意だったり、その辺は人によりけりだが、得手不得手じゃなくて、そういう姿勢を忘れない様にしたいと思う。僕は割りと素でやる気無い風に見せかけて、そこまでやる気無くないよん、と言う感じで裏を取るのが得意だけどそれだけではやっていけない日が来る。

今日の夜、やっぱりこれまた別の先輩が留学中に書き溜めた絵のexhibitionに行って来たが、そこで感じたのは自分の世界を持ち続けることと、それをただの趣味で終わらせず、或る程度のクオリティで世に出せるくらい拘る姿勢である。人によってやはり得手不得手がある世界だが、別に絵でも何でもいいけど、やはり自分自身、他人に見える形の趣味も有ってもいいのかもね、と思った次第。

まぁ、よく分からないけど、生きる姿勢において他人を寄せ付けない、ことで精神的に圧倒していく、そんな姿勢もまた経営者には必要かな等と、非常に自己完結に至ったのであった・・・。

何か論理的に破綻している気がするが、残念ながらまだ自分の中で消化仕切れてないなぁ。
posted by Harvey at 21:06| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | NYで感じること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

月は光っているが光っていない。

月が光っているのは太陽の光を反射しているからだし。

月が欠けるが月は満ちる。

月が満ち欠けするのは色々と事情が有るんだろうし。

人間の心なんてのも結局そんなもので、
他者と自分がいてお互いに太陽でも月でもある。

人間の思いなんてのも結局そんな感じで、
他者のと自分で影響し有って満ちて欠ける。

月も太陽も、同時に見ることはなかなか出来ない。
月も太陽も、互いに見えるのは互いの姿のみ。

でも、月からは地球が見えるハズ。
僕の見ている世界だけがこの世界じゃないし。
僕の想いが正しいとも限らない。

月には裏があるのだ。
人にも見えない部分がある。
僕にだってある。
posted by Harvey at 18:13| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月10日

Final の Final

ということで、Final=期末テストも残すところあと1科目。

Accountingを残すだけとなりました。
あと5時間後に試験開始・・・

まぁかなり促成栽培勉強で、準備不足は否めないですが、取り敢えずFailにならなければ、いいや、と既に開き直り中。

学期開始時にはここでAくらい取りたいと意気込んでいたんだけど、まぁあまりにも悪条件が重なってしまい、Midterm(中間テスト)で撃沈。今に至ります。

しかし、凄い試験範囲な上に、持ち込み禁止とは何事か。

現在価値の公式とか、山の様にある公式を全部暗記して来いとは、どういうことか。over30のオイラには相当キツイことが分かっているのか。24歳とかと記憶力・体力共に相当ハンデが有ります・・・

ま、そんな訳で、あと1日で自由の身。それが嬉しい(笑)
posted by Harvey at 03:00| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語との闘いか英語での闘いか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

島国根性

島国根性と言うのは、多分、島国を出ないと治らない。

島国を出ても治らない。

親子3代くらい島国から離れれば治る気がする。

島国根性の何が悪いのか、と言われれば、悪くは無い気がする。

ただ、これからの世の中では、ビジネス・政治両面で得をすることは無いのではないだろうか。

そういう意味で島国根性はpracticalではない。実践的じゃないのだ。
でも島国の中では島国根性こそがpractical。
じゃぁ、でも、それじゃぁ外で戦えない。
日本の市場が収縮していく中、日本と一緒に収縮していくのでOKならそれでいいのだろうけど。

何てことを、未だにメジャーリーグの日本人選手のニュースがまるで日本を代表する選手の様に扱われる、ニュースサイトを見て思った訳です。
何て言うか、外で頑張るって、もう普通のことにしていきたいよね。
そういう風にしていかないと、日本は本当に、沈んで行くんじゃないだろうか。まぁ、沈んでも、別にしょうがないのだが、一緒に溺れたくは無い。
膝まで水に浸かってから、騒ぎ出しても遅い。そう、自覚している人はどれくらい居るのだろうか。
僕がNYに来てからもう5年間以上、日本のメディアだけが変わって居ない。日本人が海外のスポーツ界で活躍する機会は信じられないくらい増えたのに。

メディアがダメなのか、日本人がダメなのか。
前者で有ればよいのですが。
posted by Harvey at 11:17| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | NYで感じること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月08日

そりゃ、凹むことも有る。

まぁ、何て言うか、一応世の中ではそれなりに有名で、優秀な人が集まっている、と言われるような学校の大学院に留学している訳でして、その中で僕の居るスクールが特別優秀か?と言われれば、そんなことも無いだろう、と思うんですけど、そりゃぁ、優秀な人は多い訳です。

って何だか意味分からない。

でまた、これが国別にも随分と特徴が違う訳でして、日本人はCPUの回転が滅茶苦茶速い人とか、CPUをどう使えば効率的に問題を解けるか、とか、まぁ勿論ずっと子供の頃からそういう訓練を積んできて、受験戦争も切り抜けて、頑張って来た人が多いのです。

で、僕は頑張り始めたのが数年前なんで(笑)

まぁ好きな科目だけは昔から異常に得意だったけど、苦手な科目は全部赤点でもいいや、って感じで生きてきて、私立だったから、何だかんだ数学と英語が全部赤点とかでも結構全体ではいい順位で生き延びてきた訳です。が、今は英語で数学系の科目もやる訳で、もうどうしようもない。

でまぁNativeの人たちは英語出来る訳です。問題なく。僕は言いたいことは言うけど、四苦八苦な訳よ。

でまた、各国からの留学生達は中には国の奨学金で留学して来ているマジメ&優秀&しかもいい奴(ピュア)&頑張り屋な奴らも居て、この子達もまぁすげー頑張る訳です。

そんな訳で、限り有るリソースを投入した科目で死亡した今、毎日一夜漬けで次の科目の試験勉強をしている訳で、辛い。
そして、勿論成績もイマイチだろうねぇ・・・うーん。

ということで、Finalのお勉強に戻ります。
僕の問題は、僕が結構何時も余力を残して生きている人間だと言うことですね。昔っからなんだけどね。
posted by Harvey at 16:31| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記みたいなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

死は全ての人に平等に訪れる。 死は多くの人に不平等に訪れる。

生きていくのに希望が必要などと書いておきながら、希望を持ち続けても、生きていくことが叶わないことも有る、と言う悲しい現実が有ります。

2006年4月25日に書いた「闘病中のアスリート」で書かさせて頂いた、女子陸上砲丸投げの日本記録保持者でアテネ五輪代表でもあった森さんのことについて、正直引っかかっていたのだが、自分のことで日々追われる中、ろくに日本のニュースもチェックできなかった時期なども有り、フォロー出来ていませんでした。

http://harvey-kendochorai.seesaa.net/article/17015913.html

僕自身、数週間前に知ったのですが、森さんは昨年の夏に亡くなられていたとのこと。最期まで、希望を捨てずに頑張られた様でした。遅ればせながらご冥福をお祈りします。

http://www.kokushikan.ac.jp/topics/060809mori.html


死は全ての人に平等に訪れるものです。
でも、その順番は不平等に訪れる。

誰にもどうしようもないことだけど、やっぱり26歳の死は早過ぎる。

マイナーで目立たない種目ですが、日本記録を更新し続けて種目のレベルを格段に引き上げた、偉大なアスリートが競技人生のピークを迎えることなく旅立ったことは、本当に悲しいことです。闘病中も復帰を目標にしていたご本人の気持ちは僕には測り知ることなど出来ません。




僕は幸いにも物心付いてからは親類縁者に関しては僅かに祖父1人の死を経験したのみで今まで生きてきました。ただ、数名の友人や知り合いは旅立った。しかも20代で。

その中でも確か彼女も26歳で、闘病生活の末に、旅に出た。
勝手な想像だけど、やっぱり思い出すと、責任を感じる。
彼女は久々に会った時、ニット帽を被り、皆と一緒にボーリング大会と称して集まった会に来て、ずっと座って2つに分かれたチームを応援していた。僕は彼女に体調が悪いのか、と聞いた気がする。その時彼女は曖昧にしか答えてくれなかった。

次に皆で会う約束をしていた時彼女は現われず、その日に送ったメールから数度の遣り取りを経て、彼女が病に倒れたことを知った。彼女自身の言葉で。僕の送ったメールにはもう返事は来ず、僕の返信を彼女が読んだのか、僕には分からない。
僕は彼女の最期の時の少し前に、苦しみを和らげて上げられたのかと自問する。

そういう人を想うと、一生懸命生きないといけないとつくづく想う。苦しみは生きているから味わえるとつくづく想う。
彼女は最期まで、僕の渡米を心配してくれていたから。精神的に脆い部分が有ることを、似たもの同士、気付いて居てくれたから。
それ程長い時間を過ごした友達じゃなかったのだけれど、何故か彼女とは波長が合った。そんな彼女の死を時々思い出す度、僕は逡巡から解き放たれることが出来る。

非業の死には、生きてる人を動かす力がある。人が動く限り、その死は生きているはずだ。彼女の死は僕の中で生きている。変な言い方だが、彼女は死んでいるが、その死が僕の中で生きている限り、本当に死んだことにはならないんじゃないか、などと思ったりする。
時々、そう思ったりする。

そして、毎日、
ちゃんと笑って、
ちゃんと怒って、
ちゃんと哀しんで、
ちゃんと楽しんで、
ちゃんと人とコミュニケートして、
ちゃんと大切な人を大切にして、
ちゃんと歩いていかないと。
posted by Harvey at 12:24| ニューヨーク ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

生きていく為に

陳腐な言葉なんですが、生きてく為に何が必要か、何度考えても出てくる答えは同じになります。

個人的には「希望が有れば生きていける。」そういうことだと思う。

「希望が無かったら生きていけない」のか、と問われると、実はそうでもない。希望が無くても一応生きて行けます。でも危うい。

「希望が有れば生きていける」という言葉は裏返すと、「希望が無かったら生きて行けない」では無いと思います。

じゃぁ何よ?って感じだけど、頑張って裏返すと、「絶望したら生きていけない」ってことでしょうか。

「絶望しても生きていけます。」と言われそうですが、生きていける絶望は絶望ではないと思う。いや、単発の望みが断たれる絶望は幾らでも有ると思う。でも、人生に絶望することなんて簡単には出来ない。

絶望していると思い込んでも、どこかに光があるもんです。
絶望なんて簡単に出来ません。
絶望したと思っても、顔を上げて世界を見回せば実は光ってるもんです。結構。ただ、心が折れていたり、傷付いていると色が見えないから。音も聞こえないから。

ということで、人生にはどこかに希望がある、気付くか気付かないか、気付く為の努力をしているか、気付かないフリをしていないか、その辺の違いじゃないかと思う。

だから、余程のことが無ければ人は生きていける。


そして不思議なことに、自分が誰かを守らねばならない、と言う責任感が、希望に変わることもあるし、自分の世界に希望があることを気付かせる引き金になったりする。

護るモノがある人が強い、そう言われる所以だと思う。
そして護るべきモノが無い人など、やはりそうそう居ないのだ。

心一つ。世界なんて所詮心一つの集合体ですから。

何だかよく分からない結論で恐縮です。
posted by Harvey at 14:19| ニューヨーク ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月27日

何処まで来たのか

僕が子供の頃に持っていた地図には行き先は書いてなかった。
いや、地図すら持っていなかったのかもしれない。
それは地図に見えるだけの、誰かの落書きだったのかも知れない。

15歳の頃、僕が描いた地図には高校卒業までに辿り着きたい場所だけが記されていた。中学3年の3学期、高校1年、高校2年、高3、ただ、毎日練習を積んで行けば、僕は夢を叶えられると信じていた。

高校時代に握り締めていた地図が、寝起きに夢を殴り描いたメモの如く、叶わぬ夢と知ったとき、僕には次の地図が描けなかった。

大学4年間は地図の無い旅。
いや、旅にすら出ていなかったのか。
死への浅はかな羨望と親愛の情を感じながら、同様に生を断つ必要性にも迫られなかった。苦しかったがそれなりに喜びも有った訳だ。と言うよりも、欲望はそれなりに満たされていた。

社会に出て、僕は他人が期待しているで有ろう絵を描き、地図を描いた。それはきっと子供の頃に持っていた地図に酷似するもの。

そんな無意味な地図を守ろうとしたあの日。
そしてそこまでして護った地図を破り捨てたのは、その数日後。



それから、空洞の出来た心の中にただただ、想いを詰め続けた。
地図は無い。行き先も無い。
ただ、彼らの地図には無い世界に行きたい。


今、僕は地図を手に入れた。
まだ漠とした色、曖昧な行き先、粗なる方角。
でも、この地図はきっと最後の地図になる。
この地図を描き直しながら歩くことになる。

ただ、現時点で、僕が何処まで来たのかは分からない。

捨ててしまった地図はもう手元には無い。
持っている地図はあの頃との繋がりが希薄である。

僕自身は
永遠に交わらないことを願いつつ
何時か何処かで対峙することを望んでいるのだろうか

一つだけはっきりしていることは
火に投げ込んで消えてしまったあの頃の理想郷を思う時、僕の心を支配するのは苦しみでも悔恨でもなく、怒りだと言うことだ。

この思いがある限り、僕は生きていけると思う。
自分に背を向けず、生きていけると思う。
今となれば、生きる為に僕は置いて来たのだ。
二度と取りには帰らない。いや、もう見つかるはずもない。
探す気も無い。

さよなら、なんだよ。

posted by Harvey at 16:02| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

米ヴァージニア工科大学での大量殺人事件と赤西君の復帰会見に見る日本のマスメディアの報道についての所感 (あとメッシ)

米ヴァージニア工科大学での銃乱射大量殺人事件



KAT−TUNの赤西仁君の復帰会見

についての日本のマスメディアの報道姿勢

この2つを同時に書くのもなんなんですけど、まぁ言いたいことは山ほどあって、でも、別に言わなくてもいい感じですが、一応書けば整理されるかなと。そういう感じで書き始めてみる。

まず、YoutubeのMost Viewedのゾーンでは銃乱射事件の犯人と言う韓国人学生の映像が大量に溢れ、その次はバルセロナのメッシが5人抜きドリブルシュートを炸裂させた映像。これは凄い。と話は逸れるが、本当に凄まじいドリブルだった。若いってことは早いってことだ、って言うのが良く分かる。旬の選手の驚異的なトップスピードにはサッカーの神が宿ってるとしか思えない切れ味が有る。

メッシはともかく。
Youtubeではメッシをはるかに上回るこの学生の映像が溢れているわけですな。それくらい世界で注目されていると言うことです。
そして、当たり前ですが日本のメディア等の中にはお決まりのアメリカ銃社会が続く限りは悲劇は終わらない、と言う論調が繰り返される訳です。

で、まぁ、それは間違いなく真実の一端では有るハズ。そこは賛成します。でも、それが全てじゃない。
この事件でまた良く分からない、アメリカは危険だ、韓国人は危険だと、全てを一般化してしまう人々が出てくることが僕には感覚的に非常に不愉快です。そして何より、重要な視点が抜けていて、アメリカはでか過ぎて、一つの国として括って一般化するのが非常に危険な国だと思うのです。

だから、簡単に銃社会で云々とか、年間何人死んでて何挺銃が売れててとか言われても困る。その辺の感覚をそろそろ日本のマスメディアの人々はちゃんと伝えて欲しい。彼らだった相応の国際感覚だったりアメリカと言う国への知識なり認識なり有って欲しいのですが。まぁ、皆が無いと言うわけではなく、一見した中ではどうも相変わらず欠けていた気がするから。

でも、分かりやすい話だけど、ホロコーストの生き残りだった老教授が生徒達を逃がす為にドアを押さえながら射殺されて犠牲になったと言う話には胸を打たれます。地獄だったであろう戦争と極限の暴力を肌で経験し、生き延びた老いたる人には、何人たりとも敵いはしないと言う、何時か何処かで聞いたフレーズが甦りました。
人はどういう死に方をするかで人生が決まる。僕はそう思う部分もあるので、この方の死には感じるものがあります。真相は分からないんだけど、生徒達の証言なんで、真実に近いのでしょう。


で、話題は赤西君へ。赤西君と君付けしてますが、僕は彼を知らん。全く知らん。動いてるのを見たのも、活動休止会見をYoutubeで拝見。で、また復帰会見をYoutubeで拝見。合計8分程度(笑)

しかし復帰会見は酷かった。何の劇ですか?ってくらい酷い会見。彼自身は非常に気を遣ってるのが伝わってきたけど、質問者は何故詰問調なのか???仕事半年休んで語学留学の何がいけないんだ?????

何で謝らないといけないの?お騒がせしてって誰をですか???
芸能マスコミをお騒がせしたんだったらTVで会見する必要ないし。ファンとマスコミだけにお詫びするなら別にTVで会見して、しかもそこで謝る必要なんか無いでしょうに。
個人的には知らない人にTVで謝られても僕は困ります。知らないもん。困ってないし。迷惑も掛かってない。

まぁ彼が本当に必死に英語を勉強してたかは分からないけど、社会勉強くらいは出来たでしょう。英語もちょっと頑張ったはず。
(そもそも僕は「流暢な英語で挨拶」と言うくだりを見て、流暢とはどれ程のレベルで、僕と比べたら僕は流暢と言って貰えるのだろうか?と言う興味でYoutubeを検索したのだが、HELLOと言ってる部分しか見つからなかった・・・)

自分を高める為に、新しいことに挑戦するとか、リフレッシュする為に何処かで何かをやってみる。そういう姿勢をスポイルする様な日本の文化を僕は心から軽蔑したい。

この発想は既得権益を守るべく、波風立てずに平穏に今のまま今のままと言う発想に繋がっているように見える。

正直若い子でしかも芸能人と言うかなり偏った社会への露出しかなく、人間関係も偏った人たちが海外で色々と色眼鏡を少な目の世界の中で生活して得られる物は計り知れないと思う。

ファンに迷惑を掛けた、心配を掛けた、マスコミを騒がせたって、騒ぐのが君らの仕事だし、騒がされないとメシが喰えないだろうが、と思うのだがどうなんだ。

一般の企業で働いている人々にとっては、語学留学6ヶ月で謝らされる感覚は分かり難いのではないのだろうか。そんなこと無いのか?僕がもうヘンになってるのか。

新たな一歩を踏みしめ様とする若者に謝罪を強要する社会に未来など無いと思うのだが。それが日本に未来が無いのか、日本のマスコミに未来が無いのか、と考えれば答えは容易にでるだろう。後者ですね。

という事で、メディアは楽天や外資にでもどんどん買われたらいいんじゃないか、と友人が沢山TV局で働いてるのにも係わらず、無責任にも思ったりしてしまうのであった。あまりよく考えて言ってないが。あと、自由化すべきでしょうね。既得権益を守る発想しか出来ない経営陣がこの変化していく時代を生き残れるとは全く思えません。彼らが変われないのなら、誰かが取り上げるしかない。でも、その取り上げるべき権力を持つ政治家も官僚も、多くは既得権益を持ってる(権力あるんだから当然だが)訳で、同じ穴の狢が集まって色々やっても全然駄目な訳です。

大丈夫か?日本????
と言う結論だな。今日は。
あ、今日も、か。
posted by Harvey at 05:12| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記みたいなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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