2007年10月20日

未熟者を祭り上げては血祭りに上げる、日本社会に未来はあるか

亀田大毅の一件には正直うんざりした。とか言いながら、YOUTUBEを駆使して問題の試合も満たし、リフレインされる父親と兄の発言も聞いたし、その後のワイドショーの特集やら、謝罪会見やら一通り網羅した。

安倍前首相の辞任には腰が抜けるかと思うほど驚いた。職を懸けると言った人間が数日後に辞任するとは何事か。気がふれたのか、と思ったら本当にかなり終わっていたようで、ここはニュースや識者のコメントと大差ない感想である。

朝青龍の問題は、相撲協会と言う組織や親方の指導力だけではなく、もっと大きな病巣を感じさせた。

上げればキリが無いが政治家とスポーツにこういう恥ずべき事態が多発している。

ハンカチ王子、ハニカミ王子、数限りなく生み出される幻想のヒーロー達は何れもまだまだ未熟な少年達だ。

僕自身が今の日本社会が病んでいると思うのは、こう言う未熟者達を寄ってたかって有り難がり、凄まじい勢いで消費して、そして一旦何かが起これば社会全体で血祭りに上げると言う現象が止まらないことだ。

亀田大毅は何故記者会見をして謝らねばならないのか。誰に謝るのだ。
亀田大毅は内藤大助に直接謝罪した。それだけがすべき事だ。

朝青龍が仮病ならば、何故それを証明もせず、情緒的な問題だけで処分するのか。暗黙の了解を外国人に求める度量の狭いこの社会は不愉快だ。

亀田大毅は18才の小僧に過ぎない。朝青龍も横綱とは言え所詮27歳でまぁ結構オトナだがまだ若く、人間的にはもっと未熟だろう。

安倍前首相はいいオトナだが、全く持って政治家としても1人の男としても未熟で幼いお坊ちゃまだった。ハンカチ王子は高校卒業したばかり、ハニカミ王子はまだ高校生だ。問題発言をしたとバッシングされた若い女子プロゴルファーもいた。

やや焦点はずれるが、例の弟子が死亡した時津風部屋の親方も、どうやら正直言って、他人を鍛えるには未熟過ぎたのではないか。

愚かな大手メディアは未だに視聴率と言うバカな数字を稼ぐ為に、愚かな策を練り、それを視聴者に押し付ける。視聴者は、@気付かずに楽しめる者、A違和感を感じながらも垂れ流されるものを受け容れる者、B価値が皆無のこういう情報を自らシャットアウトしてメディアから離れていく者、などに大きくは3分されると考えられるが、その数字の内訳はどんどん変わって行って居るのではないか。既にAとBの数が@を圧倒しているはずだ。

にも拘らず日本社会はまだ未熟者を祭り上げ、彼や彼女が失敗すると血祭りに上げる。メディアだけでなく、全ての人々が叩く。バカな話だ。

問題は個人に有る場合もあるが、それは限定的だ。
問題の根はもっと深い。

未熟者が血統と周囲の保身と義理による後押し、そして世論の雰囲気だけで、何の準備も、十分な実力も無く、誰もが一目置くような学歴も実績も無く、総理大臣になれる国はバカげている。
差別発言を繰り返す、愚かな男が、血筋と親しみ易さと経験を武器に、総裁選に出れる様な政党は腐ってるし、神の国等と言う、時代錯誤且つ、戦後の全てを否定する様な言葉を平気で民衆に吐き、それを恥じない様な政治家が隠然とした発言力を持つこの国の政治は狂ってる。彼らもまた、政治家として余りに未熟なのではないか。

心技ともに未熟な18才の若者を33歳の幾多の苦しみを乗り越えてきたチャンピオンに本気で勝てると思ってリングに上げたのか。

未熟な者が分不相応な場所に居るのには2つ可能性がある。日本的な血統や義理人情によりその場所に据えられた場合と、大衆には幻想を与えメディアには食い扶持を与えるが故に世間に祭り上げられた場合だ。安倍前首相の場合はその両方があったから総理になれたのだろう。

確かに限定的な実力はあるだろう。だが、何れも共通するのは老いたオトナ達が若者を搾取して消費する悪意に満ちた意図と構図だ。

周囲のオトナ達が愚かならば亀田兄弟の様に辱められ、周囲のオトナがまともならば、石川遼の様に道を外さない。もし、石川遼と一緒にコースを回った先輩ゴルファーが金の為にマイクを付けることを承諾していたら、事態は考えられないくらい悪化し彼の未来すら大きく捻じ曲げたかも知れない。だが、この策略は余りにもそのゴルファーの誇りを蔑ろにするものだったに違いない。間違いなく、スポーツを愛さないものが係わったとしか思えない一件ではあった。

何れにせよ、未熟者を祭り上げるこの社会は狂ってる。何時まで村社会のつもりなのか。もう村社会など崩壊していると言うのに。世間に謝罪しろとは何か。その世間に心の繋がりなど微塵も無いではないか。

先方に立つのはメディア。支えて居るのは視聴者だ。

この社会を変えるには、メディアに騙されないことは必須条件だ。特に日本の大手既成メディアには、心あるジャーナリストやプロフェッショナルも数多く居るが、その経営戦略が既得権益に依存するが故に、彼らもまた迷いの中に居る、若しくは迷い無く狂って行く。

日本人はもっと自分自身のことに一生懸命になった方がいい。
我々が豊かで有れる時間があとどれくらい残って居るのか、僕には自信が無い。だから、必死で日本を変えていくべきだ。この国はこのままでは、住んでいても怖ろしく退屈で物質的精神的に貧しい、幸せな国に成り果てるだろう。
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2007年10月01日

軍事政権とは如何なるものか

下添の産経新聞のミャンマー関連の記事について。本件に対する、政府の対応は近頃に無くバランスが取れていて、相応に迅速であり、個人的には評価出来る。大手メディアの不甲斐なさが際立つとも言えるのだが。

しかし、軍事政権というモノが如何なるものであるか、と言うことが良く分かる。都合の悪いことは隠蔽し、証拠は滅却。反対するものには武力により制裁を加える。軍事独裁国家と言うのはやはり怖ろしいという事を感じるし、その様な理不尽さ、不条理さには深い悲しみと怒りを禁じえない。

北朝鮮もまた、軍事独裁政権と呼べる存在。
そして太平洋戦争に突入していった日本政府もまた、軍部により乗っ取られていた政権であり、軍事独裁に近い姿であった。

護る為に武力は必要。
民主化が全てではない。

しかし、やはり理不尽に命を奪い、その恐怖で人を統べると言う古いやり方は人間の理性を否定するものではないのか。そんな疑問を感じながら、日本と言う国の平和さを有り難く感じ、日本人の平和ボケを情けなく感じるのです。


「政府、ミャンマー軍事政権にビデオ返却要求」

10月1日11時39分配信 産経新聞

 町村信孝官房長官は1日午前の記者会見で、ミャンマーの反政府デモを取材中に射殺された日本人ジャーナリストが殺害時に使っていたビデオカメラが返却されていないことについて、「ミャンマー側はすべての遺留品を返還したと述べているが、確認を求めている。(ミャンマー訪問中の)藪中三十二外務審議官からも関係者に強く要請する」と述べるとともに、ミャンマーの民主化や人権状況の改善などを引き続き求める考えを示した。また、町村長官はミャンマー側の医師による「検視結果」を公表。「20センチ以内から撃たれた場合に見られる銃口からの炎によるやけどの跡も、1メートル以内からだと皮膚に付着するとされる火薬の粒子もなかった」などと至近距離からは撃たれていないことを示唆していることを明らかにした。これを受け、町村長官は「別途分析する必要がある」と述べ、遺体を日本に搬送した上で改めて検視する方針を示した。
 また、高村正彦外相は1日の外務省のミャンマー情勢に関する連絡会議で「冷静な対応を求めていたのに、ミャンマー政府が強圧的な行動に出たのは遺憾だ」と批判した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071001-00000909-san-pol
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2007年09月30日

相撲の未来

大相撲の時津風部屋で時太山(ときたいざん)=当時17歳が稽古と言うか、暴行を受けて死亡したと言うニュースを読んだ。

最初は事件性が無いとされていたが、取調べが進むにつれ、証拠隠しや口裏あわせ、誠意の見えない真実を隠蔽する様な、己の保身か相撲界としての保身か、分かりはしないが、異常な体質が浮かび上がって来て居る様に見える。

横綱朝青龍は「怪我をしているのにサッカーをしていた」と言う罪で相撲界からもメディアからも、恐らく大衆からも集中砲火を浴び、外国語の日本語で精神科の医師による診断を受け、鬱病だかなんだかと診断され、賛否両論の中モンゴルに戻り、既に元気になって居るらしい。

村上龍氏が少し前に自身のコラムで言っていた様に、朝青龍の罪はなんだったのかはっきりしない。笑顔が罪だった、そういう捉え方しか出来ない。怪我がウソだったのなら、診断書を書いた医師を訴えることが出来るはずだが、それは為されなかった、と言う氏の意見には納得出来る。全てが曖昧なまま処理されていく、情緒と感情論に流され曖昧な罪で不自然に裁かれ、全てが曖昧なまま、その人はほとぼりが冷めれば戻って来る。

極めて日本的であり、日本の国技、相撲に相応しい、とも言えるかも知れない。しかし、スター不在、日本人力士の弱体化と人数減、不透明な判断基準に、隠蔽体質。

相撲界には未来があるのだろうか。
旧き良きしきたりは非常に価値有るモノでそれが喪われれば、相撲の魂が失われる、とも考えることが出来る。
だが、相撲は既に興行となっていて、ファンと力士に支えられている。その双方を失うのであれば相撲はまた神事として生き残るしかなくなってしまうのかも知れない。

閉ざされた世界の中で育った人材が古い仕来たりしか知らないまま相撲界を采配していけるのか。外部の人材を入れるという勇気が必要ではないか。少なくとも意味不明のメンバーが偉そうに講釈を垂れるばかりの横綱審議会等は、最も意味の無い組織だろう。まぁ無いよりマシなのか・・・いや、不要だろう。角界は今直ぐ、変革に向けて動き出すべきだ。
posted by Harvey at 14:09| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月29日

『誰も行かないところへは、誰かが行かなければいけない』

長井健司さんと言うジャーナリストの方がミャンマーで亡くなった。
最初は流れ弾により死亡したとの見方が大勢だったが、フジTVの入手した映像を見れば、かなりの確率で軍の兵士による射殺と考えられる。



まず、長井さんのご冥福を祈ります。

紛争のある場所や戦地といった最前線で取材することが彼のビジネスであり、恐らく際どい映像や命懸けの仕事になればなるほど、その仕事の価値は高かったはずであり、今回の取材にも相応のRISKがあり、相応の覚悟はされて現地に入られた筈である。ただ、非武装の僧侶と市民のデモを軍政府が弾圧し、一般市民を射殺する、そしてジャーナリストを至近距離から射殺すると言う行為は、想定し得る中でも最悪のケースだろう。この行為は決して許されるものではないし、許してはいけない。僕は今、心の底から怒りを感じるが、この怒りが日本人の同胞が理不尽に殺されたことから発しているのか、それとも最前線で真実と向き合い闘うことを良しとしていたと思われる1人のプロフェッショナルをこんな形で虫けらの様に殺されたと言う屈辱感から発しているのか、若しくは未だに世界が不条理に溢れ理不尽な死が一方的な暴力によりもたらされることを映像で突き付けられて怒りが湧いてきて居るのか、全く分からない。恐らくその全てではないか。

武装した政府の軍隊が、非武装のジャーナリストを意図的に射殺する、と言うのは、明らかに報道への挑戦であり、それは真実を追求すべく闘うプロフェッショナルへの挑戦だ。それは自由への挑戦でもあり、我々の知への欲求への挑戦とも言える。

戦時下にあるイラクや未だに平和が遠いアフガニスタンなどにおいて、テロリストや武装した非合法組織等々が非武装の人々を傷つけると言うのは想像出来るし、彼らには従うべき法は無い。いや、従うべき我々と共有可能な法が無い。だが、ミャンマーは軍事政権とは言え、政府軍だから、国がジャーナリストを殺したとも考えられる。

このことの持つ意味は怖ろしく深いのではないか、と思うのだが、どうなのだろうか。国際法の知識は特に無いから、どうしても倫理的情緒的な議論に終始してしまうのはお許し願いたい。

ただ、このネットに繋がれ、世界中が情報を即座に入手できる時代にこのような蛮行を実行し、しかもそれを映像で切り取られると言う極めて稚拙で愚かな行為を行った国家・政府が長く生き残れるとは思えない。
長井さんの死はその破片であり、数多くの死がミャンマーに横たわっている。民主化の波は一度引いたとしても何れより勢いを増して押し寄せるだろう。

民主化が全てとは思わない。アメリカ人が信じる様に、世界中の国家を民主化することが世界平和に繋がると無邪気に信じることは出来ない。でも、自由を望む人々をただ踏み付ける政権は何れ滅びると言うのは歴史の常道だろう。愚かな指導者にはそれが見えないのだろうか。

何れにせよ、日本のマスコミの論調は僕には理解し難い。メディアはもっと声を上げるべきだ。メディアは国を突き上げるべきだ。ジャーナリストの誇りと覚悟を踏み躙るこの蛮行に対してメディアは確固たる意志を持ちミャンマー政府に掴み掛かるべきじゃないのか。決してメジャーではない会社の契約ジャーナリストだからか?だからこんなに他人事の様に伝えるのか?

僕には分からない。偏向報道とか、そういう次元じゃないと思う。命とプライドとメシの種と自由、その全てを侵すこの行為にもっと激しい怒りを抱き、その拳を握らないのならば日本の大手メディアはもう駄目だろう、と勝手に思っている。

APF通信社の山路代表の言葉は闘う意思を失っていない。魂は既得権益に侵された大手メディア以外に宿っている。
「長井の口癖は『誰も行かないところへは、誰かが行かなければいけない』だった。この状態で取材が後退することを長井は好まないと思う。別の記者が望むならば社としても支援していく」

意志は紡がれる。一つの命が喪われても、その命が紡がれる意志を生んだのならば、ほんの少しだけ、救われるというのは余りにご遺族に対して失礼だろうか。


例え紡ぐものの動機が金銭や名誉欲であったとしても、プロは結果を見せればいい、公の目的を果たせばいい、と僕は思います。
posted by Harvey at 07:52| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記みたいなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

Make this world better...

夏休み先週終わり、大学院には学生が戻ってきた。
勿論僕もその1人。
しかしまぁ、怖ろしいほど沢山の1年生が校舎内を意味無くうろうろしている。再会を喜び合うのは全て2年生。所在無げに1人ポツンと立ったり座ったりしてるのが1年生。しかしまぁよくもこんなに人が居るもんだと、昨年の自分を忘れて思う。

それはともかく。

うちの学校のOBの人のブログを去年入学前に読んでいて、そこに書いてあったある教授の言葉がずっと心に残ってる。

Make this world better.

君らの志はそこにあるんじゃないのか、的な言葉と共に書いてあった気がするが、その辺はやや定かではない。僕に残ったのはこの言葉。

世界をより良くしよう。

分かり易く、分かり難い、そんな言葉。
言うは易し、行うは難し、そういう言葉。

でも僕はとてもこの言葉が好きだ。
この言葉は僕がこの学校を選んだことを肯定してくれる言葉だ。
この言葉は僕がビジネスの世界の中で握り締めて居るべき大事なコアを示す言葉だ。

僕は僕の闘う場所であるビジネスの世界から、この世界を変えていきたい。

I want to make this world better through my business.

僕が必死で生きるのも、必死で学ぶのも、必死で働くのも、勿論お金とか家族の幸せとか、会社の繁栄とか、そういうものの為であるだろうけども、でも、最後は世界を良くすることに繋がるべきだ。

世界を良くする為にはお金が要ります。
世界を良くする為には知恵が要ります。
世界を良くする為には影響力が要ります。

その為に、まずは一歩一歩、自分自身を良くしなければならないし、磨いていかなければならない。
僕自身が無力であれば、世界など救えない。
目の前の1人を救うことも大事だけど、自分の家族や仲間を背負ったまま救うのには相応の力が必要になる。

やっぱり今のままじゃ足りない。
僕はもっとずっと遠くまで行かねばならない。

posted by Harvey at 14:18| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | NYで感じること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

政治家の不祥事を追及するだけじゃダメなんだよ

と、思う。

これだけ多くの政治家が、しかも閣僚に上り詰める、云わば政治家の中での成功者達が、バタバタと不祥事で倒れていく訳です。

お金絡みの不祥事系
人事絡みの官僚との闘いや軋轢を収められない内紛系
不倫とか下半身系
一向に減る気がしない軽はずみな問題発言系

ってかさ、ここまで幾らでも出てくるってことは、システムに問題があるんだよ。田中角栄さんの作った利益分配システムはもう通用しないし、自民党の集票システムもワークしない。政治家の集金システムももうoutdatedなんだよ。それ以上に、政治家を選ぶ選挙制度自体がもう意味を成していない。総理大臣と政党と閣僚と国会の全ての関係ももうワークしていない。

そんな政治家に期待する、既得権益にしがみ付く業者も、政治家を意のままに操ろうとするお役人も、それに甘えて美味しいところをつまんで威張ろうという政治家も、どの発想ももう古過ぎる。

今、情報は隠せない時代になった。ありとあらゆるソースから、匿名で情報は流れ出す。恐持ての脅迫も、社会的地位の喪失も、気にせずに情報を垂れ流せる時代。

ダークな部分もひっくるめて政治だった時代は終わったし、ダークな部分で上手に世の中を取り仕切りつつ自らも権力を手にする官の論理も通用しない。

そんな世の中になってきてるはずなのに、マスコミはただ感情的に説明責任説明責任、任命責任任命責任とアホの様に騒ぎ立てる。
マスに対するジャーナリズムなんか日本に無いとしか思えない。

官僚達は気付いてる。システムがもう駄目ってことに。でも、彼らにはそれを壊すメリットが無いのだと思う。優秀過ぎることで限界の線を自分で引いている。優秀過ぎることで自分達の足りない部分に目をつぶれる。

政治家は気付いてる。今まで通りじゃ上手くいかないことに。でも、日本を背負う気概のある政治家はもう居ない。政党の枠組みを超える政治家はもう居ない。本気で国家を変えようと考えてそれを実行できる実力のある政治家ももう居ない。お坊ちゃまとお嬢ちゃまが、日本の政治を腐らせる。人気と権威が好きな無勉強な政治家が日本の政治を腐らせる。

マスコミは組織として、既得権益を国に護ってもらっている時点で既に死んでいる。

死の国ニッポン
本当にぶっ壊してやりたいと心から思う。
でも、まだ力が足りないし。それは僕の仕事じゃないから、少しづつ、変えていくしかない。でも間に合わないかもね。

変わらなければ死んでしまう。
そういう時代にもうとっくになってるのに、どうして目を瞑ったまま、この愚か者の舟は沈もうとしているのか。




で、余談だが

ってか、結局朝青龍の最初の罪って何だったの?怪我してるのにサッカーしてたのが罪なの?ってか、怪我してたらサッカー出来ないの?まぁ出来無そうだけど、それって誰か確認したの??????

ってか、何で朝青龍を誘き出した中田英寿氏を誰も責めないの???

全然わかんないよ。僕的には。分かる人には分かるんだろうか・・・

感情論じゃなくって、有る程度論理的に、説明して欲しいのだが。

本質を曖昧にしたまま世論を煽るマスコミ、煽られる愚かな大衆。そんな大衆ってまだ日本にいるの????と思ってしまうが、居るのだった。居るのか????オレは居ないと思ってたのだが。居るみたい。うーーーーーん。
posted by Harvey at 14:32| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月26日

「変わらない方がいいもの」と「変えるべきもの」@

非常に感覚的な話だが日本人は集団として「変わらない方がいいもの」と「変えるべきもの」を識別してそれぞれの問題解決に取り組んでいく能力に著しく欠けて居るのではないか、と思うことがある。

アメリカはそもそも「変わらない方がいいもの」なんぞほとんど持って居ない。何故なら大した歴史が無いからだ。この国にとって重要なのは錦の御旗としての「フロンティア精神(自分の身は自分で護ると言う発想もここから来ている)」や「市場経済の信用性維持」と言った非常にシンプルで分かり易いものだ。
前者はアメリカンドリームがまだアメリカに有ることとも繋がっていくが、銃規制がなかなか進まないと言う現実にも繋がっていく。
後者が最も明確に示された事例は、個人的にはアーサーアンダーセンの解体だったのではないかと思う。日本では反社会的な経営を行っていた企業や組織の多くが生命維持装置を付けられたまま今も不自然に生きながらえている。潰れたらその従業員や下請けの人々が皆路頭に迷うと言う大義名分の元でだ。だが、こんなバカな事は無いと思う。日本社会にセーフティネットが無いことこそが問題であり、場当たり主義的に社会的に信用度を喪った企業をそのまま活かしておいても何の解決にもならない。ただ、アメリカでは偽装問題程度では反社会的というレッテルは押されない気がする。この国では株式市場での評価でその企業や経営陣を抹殺していくのではないだろうか。特定の巨大企業の不祥事では相応の社会的制裁もあると感じるが、日本の様に国中で寄って集ってと言う気味の悪い現象はあまり多く見られない。

一方の欧州はこれまた極めて多様な文化が入り混じっていて一言で括ることなど不可能ではあるのだが、常に国境線を意識しながら他国の侵略や干渉に危機感を抱いたり、逆に他国に侵略・干渉してねじ伏せてきたりと言うことを日常生活の歴史の一部としてきたこのエリアの人々は、変えないで残すべきもの(例えば民族的な慣習とか宗教心とか古代からの自国のルーツとなる様な遺跡など)と変えるべきものを瞬時に理解する訓練が出来て居る様な気がする。

それはともかく、「変わらない方がいいもの」と「変えるべきもの」の話だが、日本と言う国において今明確に分かって居るのは国家を運営する国会と政府と官庁のシステムが既に崩壊しはじめていることだ。
にも係わらず、内部の当事者達が全く気付いていない様な発言と行動を繰り返して居ることに鳥肌が立つほどの違和感と恐怖を感じる。

政治家は本来社会(と言うか世界)の変化を読み取って、未来を予見しつつ、国家をより良い方向に導いていくべき存在のはずだ。まぁ僕の勝手な理想像だが。国益を最大化することこそが政治家の任務と言うような極論もあるが、一人の政治家(というより人間)に出来ることなどたかが知れており国益を優先するなり何らかの問題に取り組むなりはその人のライフワークが何処にあるかにヨリケリだろう。その辺は、その為に数多くの政治家が居るのだから、全体としてバランスを取れればいい。だが、何れにせよ、そのライフワークの全ては人気取りの為ではなく、信じる国益なり人類愛なり美しい国なり何だか分からないがとにかく公共益となる様なものに基くべきだ。
最近の政治家の言動や行動を見ていると、まぁ選挙の前後と言うのを差し引いて、加えてもっと長いスパンで見てみると、彼らの興味は永田町の中の勢力争いとか、自民党と民主党の第1党争いとか、非常に小さなコップの中での出来事であることが良く分かる。
確かに目の前の今そこにある危機こそが、政治家自身やその家族、加えて政党や派閥にとっての死活問題なのは良く分かる。だが、そんなことばっかり、国の意思決定をやってる人達が考えててどうすんの?ってことです。彼らの資質にも非常に疑問が有るが、最大の問題点はやはり「選挙制度」と「マスコミを含む国民の政治や国益への無関心・無知」ではないだろうか。加えて利益誘導型の政治スタイルが既に限界を超えているにも拘らず、それを変えたくない勢力と変えないといけないことを理解していない勢力がうろうろしていることも非常にネガティブな要因だと思う。

国家のトップがこの有様でその場凌ぎの何ら抜本的インパクトの無い無益な政策の破片を連射することのマイナスは計り知れない。

何でこういう制度を本気で変えようとしないのか。
何で省庁再編とかそういう小手先ばかりで抜本的な官僚制度の見直しとかしないのか。
何で選挙制度や国会の姿かたちを変えて国をもっと有機的に運営出来るように出来ないのか。
何でプロゴルファーのお父さんで人気が有るだけの人や特別な経験も無さそうなほぼ現役ニュースキャスターが国会議員になれるのか。

確かに田中角栄の作った利益の分配システムは崩れつつあり、既得権益にしがみ付く人々の姿が醜く目立つ世の中にはなってきた。これは小泉前首相の残した最大の遺産だと言う指摘があるが賛成である。そして政治のシステムは変化し始めている様にも見える。だが、何もかもが遅過ぎる。グローバリゼーションが進み、ネットでの情報伝達はほぼリアルタイムに世界を繋ぐ。加速度的にスピードを上げている世界の回転の中で日本の国家としての意思決定は余りにも遅く悠長で牧歌的ですらある。

そして、議論は何時も瞬間的に沸騰し、ただ対象を袋叩きにし、何も結論を必要とせず、徐々に消えていく。全ては先送りされるか、スケープゴートになった象徴的人物の全てを奪い取って終わる。

例えば日本国憲法だって改正していくべきものだと思う。アレが全てなんてアホな話は無いだろう。それじゃ野球憲章がどうのこうのといい続ける日本高野連と大差ない。変える必要の有る者は変えていくべきだ。

時間は流れているし、時代は変わっていく。人類が未来永劫存在し続ける可能性など恐らくは無いと僕は信じている。まぁ億年単位の話だが。
何れにせよ、我々の生きてる世界には時間があり、時流がある。万物流転である。ならば変わらないこと、変えないことは罪だし、変わらなければ死んでしまう。僕はそう信じてる。

阿部首相の最近の苦悩は計り知れないし、そもそもメディア経由でも全然伝わってこないので何とも言えないのだが、心情的に彼を応援したいと思って居る僕ですら応援する材料が無いくらい彼は国民に語る言葉を持って居ない様で非常に寂しい。一国の宰相がこの表現力と行動力の乏しさとはいったい何なのだろうか・・・

と結局政権批判になってしまうのが最近の傾向だが、日本の未来はこれから10年に懸かって居ると思う。今始めなければ間に合わない。

日本は素晴らしい国なのに、その閉鎖性(島国根性とも言うが)と内向きな姿勢(言語の壁も大きく作用していると思う)で多くの可能性を閉じていると思う。

今変えなければ、閉じたままこの国は沈むのではないか。
そんな危機感を持つ今日この頃。そしてまた、そういう危機感を共有出来る人間が日本にどれくらいいるのだろうか。

尻切れ蜻蛉な感じですが、今日はこの辺で。
posted by Harvey at 03:47| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月19日

国家存亡の危機

まぁ今日明日と言う話ではないですが。
正直言って今の日本は国家存亡の危機に有ると思います。これは自信を持って言える。これからの5年から10年が日本の今後100年を決めていくと思います。

明白な理由は人口の減少、これに尽きる。日本は世界で2番目の経済規模を誇る国ですが、その経済を支える多くの企業は2分される。1つはトヨタやホンダ、SONY(現在低迷しているけど)等を例に挙げると分かり易いけど、輸出と言うか日本での売上だけに頼らないGlobalな企業群。もう一方はイオンやセブン&アイなどの小売業に代表されるような、多くの売上や利益を日本国内の市場で上げている企業群である。(正確にはイオンもセブンアイも海外での事業展開を積極的に実施しているので例として挙げるのには相応しくないのかも知れないが)

まぁ細かいことはともかく、日本の人口の縮小は日本の市場縮小にダイレクトに繫がり、それが意味することは日本経済の縮小均衡と言う結果ではないのだろうか。ユニクロの海外での苦戦や電器系企業の海外での苦戦(サムスンの欧米海外市場での躍進と比較すると絶望的に明白な劣勢)を考えれば日系企業が海外で成功するには日本市場の大きさと閉鎖性が重い足枷になっていることが良く分かる。日本の国内での成功≠海外市場での成功への方法論確立なのだ。

と、糸山英太郎氏のHPを読んだ2時間後の今なのでやや断定口調で書いてしまっているのはご愛嬌ですが、やっぱり日本は現在危機的状況にあると思う。その状況を最も如実に示す、既に崩壊しつつある旧き良き日本的システムは下記に列挙するものと考える。

1、教育制度とそこに係わる人々の思考回路
(国家としての戦略も展望も無い教育方針を練る愚かな政府と島国の小競り合いで満足する愚かな聖職者の上層集団)

2、政治システムと権力者の思考回路
(利益誘導型の政治体制の終焉に気付かぬ無知蒙昧な政治家と知名度だけで候補者を選ぶ愚かな有権者、古い文脈で国益を語る視野の狭く志の低い政治家達、国家よりも家の理論や私怨と私心で政治を志す2世・3世世代の存在)

3、既得権益に縛られ現状以下を恐れて闘えない官僚組織とその常識
(優秀な頭脳を腐らせながらハードワークに耐える公僕達と愚かな政治家の無益な鬩ぎ合い、闘いを避ける術に長けた者は上りつめそうでない者は外に出て行く霞が関のマインドセット)

4、未だにマスを信じ続けているマスメディアと未だに己とメディアが世の中のメジャーだと疑いなく信じて踊り続ける愚かな大衆、その双方の文脈
(そもそもそんな大衆が存在すること自体僕は疑っている)

5、コップの中でささやかな自己満足に浸り保身で生きる医療界とその虚栄心の満たし方、競争方法
(既にピラミッドの崩壊は近そうだが最後の一押しにはまだ時間がかかるのか)

多くを書くには時間も心の余裕も無いので書かないけど、上記の5つの問題は火急で解決に向けて動く必要のある国家的問題点であるはずだ。何れも国家により法的に護られてきた業種であるのだが。現在のところ本質的な議論は為されず、解決に向けた問題提起すら公にはされて居ない。ただのその場凌ぎの本質的ではない対応策が謳われているだけだ。

そういうその場凌ぎを許している、そういう国民こそが最大の癌であるのかも知れない。

僕はビジネス界だけが日本と言う国を変えられる、と、今は信じている。だが、その経済界でも信じられない様な企業が多い。

じゃぁ誰がやんの?
意志を持った人々がそれぞれの場所で闘うしかないはず。
それを信じて行きたいが残された時間はそれ程長くない。
そういう危機感を日本人には持って欲しいと、日本人として切に願う次第。
僕は僕の場所で頑張ります。
僕の友人達にも是非それぞれの場所で頑張って欲しい。
そしてそれ以外の全ての心ある人々に。

そして全てが少しでもこの世界全体を良くして行けることを。
国益なんて小さな話だけじゃなく、人類としてのBenefitも頭の片隅において、指導者は進むべき時代がもう来ているはずだから。


相変わらず纏まりが無いですがご容赦願いたく。
posted by Harvey at 10:56| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月13日

何もかもが

あの日から必死で生きて来た結果の、足掻いて来た結果の、そういうのが今、少し咲いてきた気がする。でもまだソレは小さい花で、勿論この花は多年草であるべきで、僕の根っこはそれくらいシブトイモノだと信じたい。

でも何れにせよ、最後は自分自身次第だと思いながらも、実は周りの心ある友人達や仲間や家族や家族付き合いさせて貰ってる方々とか、まぁ、結局人との出会いとか、全部そこに辿り着くんだなぁとか思ったりする。

でもまぁ僕の必死で生きて来たなんてのは、たいして多分必死じゃなくって、きっともっともっと必死で生きられるのは明らかだから、まだまだ頑張れるはずだなぁ、とも思うし、まだまだ甘いとも思うわけで、そうこうしてる内にあっと言う間に実りの秋を迎えるべき年齢が来るだろうね。もう、実は、そろそろ実ってもいい歳だからねぇ。年齢的には。まぁ僕は猛烈に牛歩系なんで今更焦ってもしょうがない。でも焦らないとまたコレ非常にノンビリするので多少は焦る。

何れにせよ、自分の来た道を肯定出来る状況は本当に幸せなことだと思うわけです。と、取り敢えずたまには感謝してみる(笑)
posted by Harvey at 14:06| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記みたいなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

本質を素通りし続ける日本と言う国

久間章生防衛相辞任の報を耳にして最初に思ったのは、どうしてこんなに大騒ぎになるのだろうか、と言うことだった。

まぁ確かに安倍政権誕生から短期間で閣僚の辞任が二人目、自殺者が更に1人というのは異常だとは思う。

ただ、久間氏の発言そのものはいい発言とは全く思えないが首を吹き飛ばす程の発言なのか、素朴な疑問を抱く。

WEBベースでしか日本のニュースは入手出来ないので、限定的な情報だが、マスコミの反応は総じて批判的である。

「長崎に落とされ、悲惨な目に遭ったが、

あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、

しょうがないなと思っている。

それに対して米国を恨むつもりはない」


この発言は確かに一国の国防を預かる人物として不用意かも知れないが、長崎出身の人間が事実に対してケリを付ける為の思考方法としては「有り」な論理だと思う。実際に学者によっては戦争を終わらせる為の選択だったと言う意見を持つ人も居ると何かで読んだ記憶が有る。それにアメリカの武力の傘の中で北朝鮮の脅威を大いに緩和してもらっている立場の防衛のトップのアメリカへの気持ちとしてはむしろしょうがない気がする。

一国の防衛相が講演で出すコメントとしてはまぁ脇が甘いと言うか刺されてもやむを得ない様なポロリ本音発言では有る気がするが。

しかし、実際に外国人(特にアメリカ人)と接しながら、外交やらなんやらを日々積み重ねていくには、永遠に貴様らの原爆投下は絶対に許さない!!と言い続けるのも難しい話ではある。人はそこでそれぞれの道を選択し、ある一つの大きな事件を転機に、人は分かれ道をそれぞれ選んで進んでいくのだから。

だから、こういう公人の立場に有る人が、原爆投下を容認したとも取れえる発言をしたことを許さない人が居て当然。そして、それも頭の整理の方法としてはしょうがないよなぁ、と思う人が居ても当然なのではないだろうか。

問題は、そういう議論を尽くさず、本当に大多数がそう思って居るのか不明な中で、マスコミ(そもそも日本にマス=大衆は未だに存在しているのか?大衆という名のマイノリティではないのか?)が寄って集ってこの発言を吊るし上げ、本質的なポイントを完全に無視して、ただの失言スキャンダルに仕上げていく、こういう体質に問題がある。

そしてまた、政府与党は政権に縋り付きたい(まぁ、野党に政権を渡したら国が倒れるからと信じているやや横柄だが責任感の有る考え方の方もいるでしょうが)が為に、選挙対策と言う錦の御旗の前で誰一人目が見えて居ない。と言うか、勿論全員がそうだ何て言わないが、元々平時の政治家なんて目が見えてないと言うか非常に俗物な方々が多い訳で、目を開くことすら怠っている方が多い。

で、そのマスメディアの太鼓に合わせて右往左往してますます惨めな姿を晒していく訳ですね。

本当の問題は、議論がされないことだ。
本質は、我々の国家、日本と言う国が未だに原爆と言うモノに対して一致した意見(公の意見)を持たないことだ。いや、持ってるのかも知れないが、僕は不勉強で知らないだけかも知れない。その場合は謝らないといけないが、でも、僕の記憶では公式に原爆投下についての日本政府の見解と言うのを覚えて居ないのだが。非核三原則と言うのはあるが、これは法律ではなく、ただのスローガンである。細かい法律で核の保有を制限している筈だが、原爆の投下について、しょうがなかったと言う意見を切り倒すような法律は無いだろう。

倫理的にどうか、と言う問題はあるが、被爆者の心情を考えろと言われても被爆者の方々の心情も決して一律ではないのではないか、と思う。
私は当日体調不良の為に直接お会いしていないが、最近私の同級生達がお話を伺った被爆者の方はアメリカに対しての恨み辛みを決しておっしゃらなかったそうだ。核兵器には反対と言うのは明確な立場だが、その行為を責める発言は無く、寧ろそのことに対しアメリカ人のクラスメイトが感銘を受けたと言っていたくらいである。また、知人がお会いした別の被爆者の方も爆発で飛来した金属片か何かで片目を失明していてもそのことでアメリカを責めることは無かったと言う。
勿論個人差はあるし、被爆者の方々の苦しみは想像を遥かに凌駕する恐ろしい経験であるし、僕は到底それを否定など出来ない。核兵器というものを世界から根絶することには賛成である。

だが、現実世界は夢物語ではない。
世界には良識的な日本人の想像を遥かに超える極悪人も変質者も宗教家も狂人も居ると思う。もし圧倒的な暴力が敵側に有れば、そして当方に何の武力も無ければ、どうなるか。常識や倫理、道徳の異なる相手、言語や論理の通じない相手には為す術が無い。

話がすっかり逸れたが、恐らく本質は、我々日本人が叩き台となる、共通認識となる、公式の立場を持って居ないことだ。それは戦争責任の問題についても同様だ。そういう議論無く、問題発言を世論(しかもその世論とは日本国民の何割の意見なの?)の雰囲気でもって袋叩きにして、全ての話を選挙対策に収束させるこの日本と言う国の小ささはなんなんだ。

と腹が立つ。そして情けない。

国に意見が無い。だから、ただ、漫然と多くの議論が中にぶら下がったままである。そして皆が見ないフリをして、ふたをしてやり過ごす。こういう日本の社会の体質が続く限り、日本は永遠に世界から取り残され続ける。それでも良ければそれでいい。僕は嫌だ。もし日本が変われずに沈むのならば、変えるか、脱出するか、どちらかしかない。

追加で言えば、相変わらず日本政府には外交的視点が欠如している。外務省と言う組織が外交には語学があればOK的な発想を持っている雰囲気があり、それだけでも相当失望する訳だが、島国日本には本当に外交戦略も外交の為の戦略的な思考方法も、国家の外交指針も何も無いのではないだろうか????国家として、せめて閣僚は外交上、足並みを揃えろよ。と言いたい。国家に外交戦略が無いから閣僚に指示も出せず徹底も出来ない。それで何か言えば袋叩き、こんな仕事非常にやりたくないね。

日経NETの社説に至っては、危機管理のポイントが正直相当本質からずれているとしか思えない。記事の言う危機管理とは、与党が政権を維持する為の危機管理のことであろう。しかしその程度の危機管理など正直本質的な危機管理には程遠い話ではないのだろうか。

そんな訳で話が飛び散ったが、今回の辞任騒動は本質とかけ離れた方向に議論が進み、辞任と言う何も産まない方法で終了。全てが参院選に向けた影響が気になりますね的論調に収束。

なんて絶望的な国なんだ。


(参考) 日経NETの社説
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070703AS1K0300203072007.html
社説1 政権の危機管理を疑わせる久間辞任劇(7/4)
posted by Harvey at 15:48| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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