2005年12月27日

恥を知る

僕は結構シャイです。 (笑)

ってイキナリナンダヨ!!(ラモスっぽく)→SMAP香取の残像が残ってる
何か日本のTV見てるっぽいネタですが、本題はそこではないですな。

恥らいの無い人は僕は嫌いだってことです。
いや、と言うか、恥じらいの有る人を僕は好きなんです。んーーと言うか、恥じる気持ちが有る人は信用出来るのかもしれないです。恥じらう人はいい人だなぁと思うからかな。

恥ずかしいと思わない人は、恐ろしい。
これは間違いない。ホリエモンとか恐ろしい。きっと彼は恥ずかしいとかあまり思わないんじゃないかな。
三木谷氏はこれはこれで、恥じらう必要が無いというか、恥じることの無いように生きて来た訳で、大きな恥じらいを避けてこれるだけの能力があった訳でしょうが。

いや、二人とも僕は会ったことが無いので本当は恥じらう気持ちが有る人かもしれないけど。
まぁ、インタビューとか読む限りあんまり無いだろうね。ワタミの渡辺さんも無さそうだなー。
ユニクロの柳井さんは有りそう。あの人は恥を知るタイプな気がする。カンですが。

僕は自分自身、恥ずかしいと言う感覚を失わない様に生きて来たつもりだ。

恥ずかしいからこそ、反省して、自分を改善しようと思うわけで。
恥ずかしいからこそ、悔しくって、取り返そうと思うわけで。
恥ずかしいと思えるということは他者の視点で自分を見れている可能性が高いわけで。

ただ、恥を恐れないことも忘れてはいけない。

恥ずかしいだけではどんどん内に篭っていく。
恥を恐れない勇気が必要だし、その勇気が無ければ恥ずかしいだけで終わってしまう気もする。

何だか難しい。何が言いたいのか分からない。

ただ、先ほど有名な経営者の方々の名前(かなりミーハー路線の面子だが)を出したけど、恥じらいの有無とビジネスのセンスはあまり関係ないと思う。

でも、金儲けが上手くって、恥じらいもあったほうが、人としては魅力的でしょう。

やっぱり人間で有る以上、人間として悩み、苦しみ、喜び、笑い、怒り、哀しみ、生きていたい。恥を知ると言うこともまた、人間としての魅力の一つだろう。

どんなに経営者として成功しても、金持ちでも、人間的な魅力に欠ければ、何だかイマイチです。って言うか、むしろ感じ悪いね。
僕はそういう人間にはなりたくない。まず、人間として生きる。そこから全てが始まると思う。だから僕は、ありとあらゆる過去も感情も引き摺って、人間らしく葛藤と苦悩の中で恥じらいながら生きていきたいと思います。そういうの得意!(笑)

結局何を言いたいのか分かりません。
要は汝驕るなかれ。と言うことなのかもね。自戒の念をこめて。まぁ僕は今驕れる理由が無いのですが。

そう、驕れるものは久しからず。汝自身を知れ。そして恥じらえ!かな。

僕は寝ぐせとかも相当恥ずかしいです。寝ぐせの有った頃の羽生さん(将棋)は本当に強かった気がする。いや、今も強いのか?インパクトが落ちただけか?あ、僕が日本に居ないから良く知らないだけ?????

全く締まらないことになってしまいました。
僕は恥ずかしいです。⇒そういうオチですか。たらーっ(汗)
posted by Harvey at 23:00| ニューヨーク ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

永遠の孤独

人は孤独な生き物だ。

人と人が心の奥底まで分かり合えることなど絶対にない。

今、僕の見ている世界と、あなたの見ている世界が同じである保証は無い。
いや、間違いなく、全ての人の目に映る世界は微妙に異なる筈だ。
ヒトには頭が一つで目が2つで・・・と言った最低限の部分は確認出来るかも知れないが、それさえも危ういと思うこともある。
前提が危うい中で、目に見えない心の中など分かり様が無い。まして、自分自身が何を考えているかを表現することも難しい。そんな中で他人に伝えられるわけもなく、分かって貰えるわけも無い。そして勿論、他人のことも分からない。
全ては所詮自己満足である。

どんなに長い時間をともにしても、男女は絶対に全てを分かり合えない。そんな中で少しでも分かり合える部分を増やしていく為に、男女は愛し合いぶつかり合う。その葛藤こそが恋愛だ。
家族は遺伝子情報を共有している訳だから、比較的分かり合える可能性が高いが、それでもやはり分かり合えない。
男同士はバカ同士、尚更分かり合えない。

いつも皆、分かった様な気がするだけだ。

それでも、僕らは大好きな人と分かり合いたいと願う。
分かって欲しいと願う。
分かって上げたいと想う。

それを止めたらヒトではなくなるからだ。
出来ないことが明らかであっても、分かり合いたいと願い、その努力を繰り返す者には、奇跡の様な瞬間が訪れることがある。
それは恐らく偶然によるものであろうが、想いが重なる瞬間と言うのはやっぱり有る筈なのだ。そしてそれは必然ではない故に永遠になり得る瞬間であろう。

また、目的に向かうとき、気持ちが重なることはある。
だが、これもまた分かり合うこととは違う。ベクトルの向いている方向が同じだから、一緒に走っていると感じるのだ。稀に錯覚することもある。そしてこの作業には分かり合う工程は必要無い。分かり合う必要など皆無だ。目的地が同じなのだ。ただ風を感じて共に走ればいい。

分かり合いたいと願うのであれば、口に出すしかない。
徒労に終わろうとも、言葉と言う記号と道具を使って、表現していくしかない。
向かい合うのを怖れてはいけない。
例え分かり合えなくとも、分かり合おうと闘わなければいけない。
それを止めればもう何も無い。
家族や友や恋人は、分かって欲しいと願い、理解して上げたいと切に思う、そういう存在だ。
そういう努力が間に無い関係は血が繋がろうとも家族でなく、知り合いであって真の友でなく、恋人であってもそこに愛など無い。
そんなものは幾つ有っても意味が無い。孤独な渇きを癒すには何の役にも立たない。

人は孤独だ。
永遠に孤独だ。
孤独を忘れる為に、足掻くのだ。分かり合おうともがくのだ。知って欲しくて闘うのだ。

そして自由であると言うことは孤独であると言うことと間違いなく深く繋がっている。
僕の心は誰のものでもなく、僕はそういう意味で自由であり続ける。
自由は過酷なる孤独の上に成り立つものだ。
posted by Harvey at 15:52| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月30日

失意の朝、決意の夜、助走の刻

また何時か会える日を待っている自分がいる
二度と会いたくない自分もいる

また何時か会えるだとうと根拠無く
もう会いたくないと心許無く

本当は分かってる
会っても
会わなくても
もう意味は無い


未来は無い
過去も捨てた


その間には何一つ無い
いや、記憶だけ
時の流れと共に
間違いなく失われていく記憶
信じられないくらい漂白されていく思い

今はもう
ソレが収まるスペースすら残っていない

だからもう


なのにどうしてこんな風に
何故またこんな風に
僕を揺さぶるのか


僕は走る
絶対に追いつかれない様に
お前達の世界から
必ず

僕は僕で有りながら
あの頃の僕とは違う
変わらないまま
変わっていく

そこにあるのはあの日々の痛みと
今や存在すら疑わしい
あの夢の日々だけ

決めたんだ
もう負けないって
posted by Harvey at 08:31| ニューヨーク ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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