2010年02月01日

風化する過去の意味するものは

過去の出来事は風化していく。
どんな風に形に残そうと努力してもそれは風化せざるを得ない。
それがこの世の定めだと思う。

僕の想いもやはり風化していく。

それはきっと今が過去の想いよりも充実しているからだ。
それは間違いないと思う。

でも、忘れてはいけないモノもある。
と、思いたいものがある。

僕が忘れてしまったら、僕が僕である理由がなくなるような、きっかけの想いのことだ。

苦しくって、悔しくって、悲しくって、毎日空を見上げていた時のことだ。
そして生まれて初めて目の前が暗転することを知った、そのすべての始まりの日のことだ。

その日の想いがあったから、その後の苦しみが始まった。
苦しみから逃れるためには、自分自身を追い込んでいくしかなかった。
忘れるためには走るしかなかった。
忘れるためには振り向くなんて出来なかった。
忘れたくないし、忘れられないからこそ、せめてその瞬間は心を空にしたかったんだ。

走り始めて、見えてきた世界がある。
走り続けてきて、僕は少しだけ前に進めた気もする。
でも、寒い夜道を、凍りつくような雲のない星が鈍く輝く中空をみて、歯を喰いしばる。

二度と戻らないあの頃の僕を、喪ってしまった悲しみを。

ぬるま湯に浸ったこの街に飲み込まれてはいけない。
偽りの笑顔に溢れた街並みに迎合してはいけない。
飽食の人波に流されてはいけない。

僕は渇いたままでいい。
渇いたまま走ればいいんだ。
posted by Harvey at 00:28| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

久々に、夢を見た

夢を見るときは決まってる。
いや、色んな夢を見るのだが、その夢を見るときは決まっている。
その夢は、僕の心の中の消えない澱の様なものの、残滓みたいなもんだろう。
慌しい現実と、新たな環境の中での新たな焦燥と嫌悪感、そして受け容れざるを得ない理不尽な言葉、そういう新しい、心を乱す様な塊は、確かにココにある。
だが、やはりこの残滓を、ワスレテハイケナイ。

そういう風に、僕の中の固いものが囁く。

今の僕の、全てを剥がして行けば、最期に残る核は、あの日、あの頃、固めた決意。その決意の犠牲から生まれた悲しみの残滓。

誰にも解って貰えなくても構わない。
誰にも解って貰う必要は無い。
誰も解って貰える筈が無い。

あの日から、僕の孤独は始まった。だが、実はその前から本当は孤独だった事を今なら理解出来る。これからも孤独だろう。
だが、孤独なんかは怖くない。怖いのは、痛みを忘れることだ。

この痛みだけは、死ぬまで抱きかかえていかないといけない。
それが決意であり、覚悟であり、人生と向かい合う為の装備なのだ。
posted by Harvey at 01:24| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

亡くしたものを取り返しに行こう

失くしたものを取り返しに行こう、と何時も思い立つ。

そしてそれは最早取り返せないものと気付いている自分と向かい合う。

取り返せる訳が無い。それはもうとっくの昔に消えてナクナッタ。

そのナクナッタものを含んでいた筈の僕自身もまた、変質してなくなっていて、ここに居る僕は多分違う僕だし、僕は僕で有る事をやめないままに、僕自身から遠くまで行こう、と決めたんだから。

でもまぁ、やっぱり僕は僕であって、あの頃とは変わらない。
僕を作り上げた土台の部分は変わらない。僕は本質的な部分では変わりたくない。

ただ、遠くに行こうと決めた。
なくしたんじゃない。僕はそれを置いてきた。
いや、むしろ、それをそこに捨ててきたんだ。


僕がなくした沢山のモノ。
僕が捨ててきた沢山のモノ。
僕が大切に抱えていた幾つかのモノ。

失くしたから、得たものがあり、失くしたから、今が有る。
と言うことで、取り返す必要なんて無い。
失くしたことで、それは永遠に僕の中に刻まれる事になったから。

埋まらない喪失感を、新しい希望で埋めて、ただ、走るしかない。
捲土重来、
そういう性分なのがせめてもの救いか。

走る準備は、多分出来てるよ。
posted by Harvey at 16:40| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

Flashback、多摩堤通りを北へ

それはかつてのお決まりのコース。
裏道を駆使して教習所の横から多摩堤通りへ。
そして多摩堤を下りガス橋を渡る。
帰り道はその逆で。多摩堤を北へ。北へ。

喪ったものはもう戻らない。
選んだならばもう選び直せない。
人生が選択の連続であるが故に、その選択こそが人生だ。
多くの場合本当に欲しいもの両方は選べない。
道が二つに分かれているのだから、僕は両方には行けない。

護りたいものと護れるものが同じとは限らない。

出来ることと、やりたいことが同じとも限らない。

本当に欲しいものと本当に大事なものが同じなんて都合のいいこともあまり無い。

全てをやると誓うことは独りならば可能。
だが、独りで生きると言うことはそもそも不可能。

僕は選んだ。にも係わらず取り戻しに走った。

そして知った。
人の心は一所に留まらない。

そして理解した。
無邪気に欲望のまま選ぶことの罪。

そして呑み込んだ。
誰も僕を救えない。救えるのは僕自身だけだからだ。
僕は僕の方法で生きるしかない。孤独だけが僕を強くするからだ。

爛れたままの心で走る真夜中の多摩堤は静かだった。
ハンドルを握る手に力など無く。
煙草を咥えたままの横っ面に生気など無く。

目線漂う中空に、ただ、彼方の対向車の白い明り。遥か彼方の先行車の赤い瞬き。
無間と思える一本道は僅か15分余り。
悲劇的な曲ですら、自分の苦しみには遥かに及ばない。そんな夜。

アクセルを踏んで、空虚な胸の穴を埋める。
空しい夜。そしてただ、夜の街を走る。




時間は経った。だが、結論など無い。答など無い。有るのはただ、積み重ねる日々と、既成事実の様に気が付けばそこにある、夢や目標と言う名の束縛だ。

だが、その束縛こそが、あの夜に僕が呑み込んだもの。
僕が選んだとても大切なものだ。

そう、
人間はそうとでも信じなければ生きて行けない生き物でもある。

そして僕は、
人間で有る事を止めるわけにはいかない。
posted by Harvey at 10:32| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

変わりたいと思った者だけが変わった自分を評価することが出来る。

本当は変わりたいと思った者だけが、変わる事が出来る。

と言いたいところだが、そんなに世の中は甘くない。

変わりたいと思わない者も勿論変わる。

PositiveにもNegativeにも、変わり得る。

変わるだけなら簡単だから。

自分で変わりたいと思った者だけが変わった後の自分を評価することが出来る。

それは物理的にも、精神的にも、そうじゃないかと思う。

変化の前の自分と後の自分を比べる事が出来るのは、変わりたいという欲求を持ち、自分の現状にについて何らかの感情を抱き、何らかの打開策を練った人間にだけ与えられる特権ではないだろうか。

まぁ評価したからと言って特に何も無いのですが。

でも、僕は自分の意志で自分自身を回して行きたい。

自分と言う存在を自分のコントロール下に絶対に置いておきたい。或る意味では僕はとても支配欲が強いのかも知れない。まぁそれは間違いないか。支配欲の強さを隠す為に、それを失った場合、無関心になるか、もしくは極端に嫌う様になるのだろう。

人間である以上、それは有り得る心の動きではある。
posted by Harvey at 13:16| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

祈りの意味が分かった時に見えたこと

人間が神に祈ると言う行為は僕にとって縁の無いものだと思っていた。
もうずっと長い間そう思っていた。

僕には祈るべき神も居ないし、信じる神も居ない。
信仰と言う発想は基本的に育まれないまま、30代を迎えている。
それはきっととてもとても、幸せな事なんだと思う。

祈りとは何なのか。僕には分からなかった。
何故なら、神に祈る必要なんて無かったから。
自分の生き方は自分で決めるし、自分の心の向きだって自分で決められる。
自分の悩みなんて自分で解決するし、解決出来なくても、相応に心を切り替えられる。
神は僕の胸の中だけに居る。それが僕の信条だ。
神への祈りと、自分の先祖や既に無い家族・友への祈りは、また少し性質が違うものだと思っている。

だけど、神に祈ると言う行為にしか、救いを見出せない瞬間と言うものがある、と言うことを知った。


贖罪

文字では僅か二文字。容易く文字は刻めるが罪など容易には贖えない。


謝罪

己の罪深さを知ればただ項垂れて許しを請うだけになる。


自らのあずかり知らぬところで起こった不条理が、自らの業を起点としたモノであった時、その出来事が自分の大切な何かを全てぶち壊してしまうのかも知れないと感じたとき、僕には祈る以外の方法が無かった。


分かった事ははっきりしている。
僕には大切なものが出来たんだということです。
自分自身ですら、破壊したかった僕に、護らなければいけないものがあると言うことは凄まじい転向です。

人間ってのは、時間と共に、変わっていく。
失くしてしまった沢山のモノが開けたこの空洞には、もう以前よりも多くのものが犇めいていて、ただただ、前に進む事でしか、渇きが癒せなくなって来ている。

これが生き続けた結果だ。
僕が生き続けて来た結果だ。
posted by Harvey at 13:51| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月21日

時間が全てを癒すのか

消えない傷痕が胸の奥にあるとして
その傷痕は消えないけれども、痛みは徐々に癒えていく。

傷痕は残るけれども、それを直視しなければ、本人すらそれを忘れていく。

そうして人は辛く悲しい記憶から訣別するなり卒業するなりして、再生していくし、そこまでの鈍さなのか強さなのかを持たない人達はその痛みに苦しみ続けることになる。ただ、苦しみ悲しみも人それぞれだし、戦争などの様な圧倒的な暴力を体験した人々の苦しみは、本人が如何に強い心を持っていても、痛みを引き摺るのが普通だろう。

一般的に言われる様に、「時間が全てを癒していく。」
これは真実だ。が、僕は容易にそれを受け容れたくない。

人間は忘れることが出来る生き物だ。悲しみを忘れなければ生きていけない。そうも言われるが、僕は容易にそれに屈服したくない。

苦しみと悲しみの時間が僕を育ててくれた。
あの闇が僕の中にあるからこそ、僕は今こうして生きている。
僕はもう、この痛みを無しには生きていけない。

だから時々傷痕を指で辿って思い出す。あの日あの場所で、壊れてしまった僕の、あの傷付きやすかった心を思い出す。
そして全ての結果は自分自身の選んだ道と改めて知るのだ。
そしてこの痛みを思うたび、僕の中で忘れかけられていた小さな火種が燻り始める。

忘れてはいけない。
悲しみも、苦しみも、あの時背負った覚悟も、自分で決めたことも。
手を差し伸べてくれた人が居たことも、僕の心を踏み躙った人が居たことも。
僕は忘れない。

痛みを抱いたまま、僕が自分で選んだ道を僕が自分で選んだ方法で走る。
僕を突き動かすものは、この怒りと、理不尽なこの世界への復讐に燃える狂気に他ならない。

僕はそんな風にしか生きられない。
posted by Harvey at 22:40| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

復讐

僕は基本的には悲観的な言葉を使うけど、本当は楽観的で最後の最後にPOSITIVEに物事を考えられる人間だと思う。

僕はそんな風に前向きに考えられる人間である反面、自分でも呆れるくらい愛憎の濃い人間でもある。

だから、僕は僕の生き方に対して、刃を向けて来た人間は決して許さない。僕の意見や行動に反対されても憎みはしない。喧嘩しても、批判されても、大抵は憎みはしない。でも、僕の生き方の核となる部分、僕が信じる倫理や分別、生きる道の様なものを踏み躙った人間は決して許さない。

だからと言って、僕が僕の信じるこの道を進む限り、僕が物理的に彼らに復讐することは無いだろう。僕にはそんな時間も無ければ、その実行により僕自身に発生するリスクも取りたくないからだ。

これは生き方を貫く闘いであり、これは人生を懸けた闘いである。

2001年のあの日から、僕の心にはヒビが入ったままなのだ。
この裂け目の存在を忘れる時間が少しづつ長くなっているだけなのだ。
この裂け目から僕の心は今も滴り落ちている。
この裂け目から僕の心が今も流れ出ている。
この裂け目が有る限り、僕は満たされることは無い。

僕を切り裂いた彼らに、僕は感謝しなければならないだろう。
有り難う。君達のお陰で僕は死ぬまで闘い続けられる。
僕は永遠に満たされることが無いのだから。
有り難う。君達のお陰で僕は死ぬまで怒りを忘れないで居られる。
僕は永遠にこの痛みを忘れないからだ。

僕は僕の信じる道を行く。
あの日あの場所で決めたからだ。
僕はもう止まったりしない。
僕はもう悩んだりしない。
僕はもう哀しんだりしない。

僕は、ただ、進む。僕の道を、進む。前を向いて、進む。
僕の悲しみなんて塵の様なものだ。でもその塵が、僕を突き動かす。
僕の復讐なんて、塵の様なものだ。

でも、誰にも何も言わせない。僕はこの塵の為に死んでもいい。
人間なんてその程度のモノだ。そういう深い悲しみと諦めもまた、僕の中に流れて居る。
posted by Harvey at 03:15| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

月は光っているが光っていない。

月が光っているのは太陽の光を反射しているからだし。

月が欠けるが月は満ちる。

月が満ち欠けするのは色々と事情が有るんだろうし。

人間の心なんてのも結局そんなもので、
他者と自分がいてお互いに太陽でも月でもある。

人間の思いなんてのも結局そんな感じで、
他者のと自分で影響し有って満ちて欠ける。

月も太陽も、同時に見ることはなかなか出来ない。
月も太陽も、互いに見えるのは互いの姿のみ。

でも、月からは地球が見えるハズ。
僕の見ている世界だけがこの世界じゃないし。
僕の想いが正しいとも限らない。

月には裏があるのだ。
人にも見えない部分がある。
僕にだってある。
posted by Harvey at 18:13| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

生きていく為に

陳腐な言葉なんですが、生きてく為に何が必要か、何度考えても出てくる答えは同じになります。

個人的には「希望が有れば生きていける。」そういうことだと思う。

「希望が無かったら生きていけない」のか、と問われると、実はそうでもない。希望が無くても一応生きて行けます。でも危うい。

「希望が有れば生きていける」という言葉は裏返すと、「希望が無かったら生きて行けない」では無いと思います。

じゃぁ何よ?って感じだけど、頑張って裏返すと、「絶望したら生きていけない」ってことでしょうか。

「絶望しても生きていけます。」と言われそうですが、生きていける絶望は絶望ではないと思う。いや、単発の望みが断たれる絶望は幾らでも有ると思う。でも、人生に絶望することなんて簡単には出来ない。

絶望していると思い込んでも、どこかに光があるもんです。
絶望なんて簡単に出来ません。
絶望したと思っても、顔を上げて世界を見回せば実は光ってるもんです。結構。ただ、心が折れていたり、傷付いていると色が見えないから。音も聞こえないから。

ということで、人生にはどこかに希望がある、気付くか気付かないか、気付く為の努力をしているか、気付かないフリをしていないか、その辺の違いじゃないかと思う。

だから、余程のことが無ければ人は生きていける。


そして不思議なことに、自分が誰かを守らねばならない、と言う責任感が、希望に変わることもあるし、自分の世界に希望があることを気付かせる引き金になったりする。

護るモノがある人が強い、そう言われる所以だと思う。
そして護るべきモノが無い人など、やはりそうそう居ないのだ。

心一つ。世界なんて所詮心一つの集合体ですから。

何だかよく分からない結論で恐縮です。
posted by Harvey at 14:19| ニューヨーク ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月27日

何処まで来たのか

僕が子供の頃に持っていた地図には行き先は書いてなかった。
いや、地図すら持っていなかったのかもしれない。
それは地図に見えるだけの、誰かの落書きだったのかも知れない。

15歳の頃、僕が描いた地図には高校卒業までに辿り着きたい場所だけが記されていた。中学3年の3学期、高校1年、高校2年、高3、ただ、毎日練習を積んで行けば、僕は夢を叶えられると信じていた。

高校時代に握り締めていた地図が、寝起きに夢を殴り描いたメモの如く、叶わぬ夢と知ったとき、僕には次の地図が描けなかった。

大学4年間は地図の無い旅。
いや、旅にすら出ていなかったのか。
死への浅はかな羨望と親愛の情を感じながら、同様に生を断つ必要性にも迫られなかった。苦しかったがそれなりに喜びも有った訳だ。と言うよりも、欲望はそれなりに満たされていた。

社会に出て、僕は他人が期待しているで有ろう絵を描き、地図を描いた。それはきっと子供の頃に持っていた地図に酷似するもの。

そんな無意味な地図を守ろうとしたあの日。
そしてそこまでして護った地図を破り捨てたのは、その数日後。



それから、空洞の出来た心の中にただただ、想いを詰め続けた。
地図は無い。行き先も無い。
ただ、彼らの地図には無い世界に行きたい。


今、僕は地図を手に入れた。
まだ漠とした色、曖昧な行き先、粗なる方角。
でも、この地図はきっと最後の地図になる。
この地図を描き直しながら歩くことになる。

ただ、現時点で、僕が何処まで来たのかは分からない。

捨ててしまった地図はもう手元には無い。
持っている地図はあの頃との繋がりが希薄である。

僕自身は
永遠に交わらないことを願いつつ
何時か何処かで対峙することを望んでいるのだろうか

一つだけはっきりしていることは
火に投げ込んで消えてしまったあの頃の理想郷を思う時、僕の心を支配するのは苦しみでも悔恨でもなく、怒りだと言うことだ。

この思いがある限り、僕は生きていけると思う。
自分に背を向けず、生きていけると思う。
今となれば、生きる為に僕は置いて来たのだ。
二度と取りには帰らない。いや、もう見つかるはずもない。
探す気も無い。

さよなら、なんだよ。

posted by Harvey at 16:02| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

独白

いや、忙しい時って、意味の無い方向に行くよね。

勿論、忙しいくたって、意味が無いって分かってるよね。

そして何故かブログを更新しようとする僕。あぁ。ごめんなさい。
って誰に謝る必要も無いのだが一応謝っておく。クセだ。最近最早クセになっている!!!!!イカン!!謝り癖、しかも独り言なんて有り得ない、人間のくずだ・・・でもくずって言われることに喜びを感じて生きて来た20数年間があるので、くずとか底辺とか言われると嬉しくなる。くずの方が宝石よりイイんだ、って知ってるし、くずだけど、君の思ってるクズと僕の思ってるくずは勿論違うって開き直ってるので別にイイノダ。

しかし本当に意味の無い更新だな。

いや、最近ちょっとショックに思ったことが有って。

異性を好きになる感覚が鈍ってる・・・・・・・・・

気がするのです・・・・・・・・・・・・・

最近ね。

いや、まぁさ、既婚とか未婚とか、そこは置いておこう。
既婚も未婚も関係有るけど関係ないの。
心次第。僕次第。君次第。

ただ、何かね、諦観なんでしょうかね。以前よりも心にブレーキが掛かりまくる。

まぁ、いいんですけど。別に人生に支障はないんですけど。
しかもそうであるベキなんですけど。

寂しいモノがあります。
既婚の友人の女性から、えーーー私は恋してるよー内緒だけど、と言うメールを頂戴し、ますます考え込む33歳の春。

結構移り気な自分を知ってるだけに、今のこの感覚が怖い。
このまま朽ちていくのでしょうか。
いや、既に朽ちている(笑)⇒北斗の拳っぽく
まぁ、朽ちてるように見えて朽ちてないのが僕のウリなのですが、このままでは本当に朽ちてしまうのだ。

と、ヒネリもオチも何も無いまま今日は終わっておく。
INPUT過多と恋愛感覚の鈍化は恐らく相関性がある。
と言う自己弁護的結論を提示してお茶を濁しておこう。

実は今、一つ答え(らしきもの)を見つけた。
でもこれはまだ書かないで置いておく。温めておこう。


しかし、本当にどうでもいい更新内容だな。
posted by Harvey at 18:11| ニューヨーク ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月01日

終わりは始まりの始まり

2006年もあと14時間あまり(@New York)。
振り返る時間は無いので、手短に。
時間はどんどん過ぎていく。
僕は変わってしまっただろうか。
僕は成長しているだろうか。
僕は前に進んでいるのだろうか。
僕はなりたい自分に近付いているのだろうか。
僕は欲しいものを手に入れているだろうか。
僕は忘れてしまっただろうか。
痛みは薄れたのだろうか。
傷は消えたのだろうか。
失くしたものを取り戻せたのだろうか。
開いてしまった穴は何かで埋められたのだろうか。
僕の道は未来に続いているだろうか。

生きていることに大した意味が無いことに気が付いてしまった15年前から、それでも道を歩こうと思った5年前から、少しでも進んでいればいいんですけどね。

と言うことで、今年も終わります。
そして来年が始まります。
何も変わらない。
ただ、日々は続いていく。
日々一歩一歩ですな。
posted by Harvey at 01:14| ニューヨーク ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月02日

失うモノなど本当は何も無い

人間は何かを持っていると思っている。だから必死で守ろうとする。
だけど本当は何も持っていない。全て仮初めの所有物。
そう、人は必ず死ぬ。人の世界に永遠は無い。
人の命が有限ならば、間違いなく人間は何かを一時的に所有するだけである。
一時的に所有することを持っていると解釈することも勿論出来る。だけど、実際それは凄く儚いものだ。

ある種の人間は常に安定しようとする。だから必死に社会の変化に抗おうとする。
だけど絶対に抗いきれない。我々は所詮世界の1構成要素。
そう、人は必ず変わる。人の世界に永遠は無い。
人の生き様が不変であれば、一部の人間は太古の昔のサルのままであるかもしれない。
それは大袈裟だとしても、人は変わりながら生きて来た。

変化を恐れる。それはきっと農耕民族だけでなく、世界中の普通の人間なら程度の差こそあるだろうけど存在する感情ではないだろうか。
ちょっとした変化で体調を崩したり、実力を発揮できなくなることも、普通のよくあることだ。

生活する国を変えるという決断をもし迫られても、環境を変えたくない、と言う理由だけは使いたくない。
そういう気持ちがある。
変化を恐れるな。
リスクを恐れるな。
使用言語の変化、食生活の変化、人間関係の変化、住環境の変化、文化的環境の変化。
それらは全て新たなる刺激であり、大きな機会であり、自分自身が得難い経験を積める好機である。
通じない言葉ですら懼れるには足らない。そんなもの慣れ過ぎている。
怠け者の僕だから、直ぐに安穏とした日々を求め、直ぐに寝転がって眠ろうとする、そんな僕だから、敢えて行くべきだろう。
環境の変化と闘うとき、人はその能力を限界近くまで引き出す必要がある。正面から向かい合うという条件付だが。
だから価値がある。
だから意味がある。
そして失うモノなど何も無い。

変わらなければ死んでしまう。そう言っていたのは誰でもない、僕自身である。

posted by Harvey at 08:24| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

迷いと躊躇いの森の中で

何に迷うことがあるかと言う状況では有る。

基本的に最近の僕は後手に回りがちだ。

様々な状況に対して処理能力が低下しているし、取り組む優先順位を分かっていながら間違えることが多い。

迷いと躊躇い、それが原因なのか、それすら分からない。

ただの疲れと言う噂も有る。



余りにも長い時間が経ち過ぎてしまったとも言える。
鉄は熱い内に打てとはよく言ったものだが、まぁモチベーションの維持と言うのはそれくらい大変なことなのだ。

ただ、僕の熱が冷めたとは思わない。
僕はまだ何もしていない。
僕はやっとスタートラインの手前まで辿り付いた。しかもそのスタートラインは予選に過ぎない。
1次予選、2次予選、決勝、レースはまだ続くだろう。終わりのない永遠の戦いでも有る。

それとは別に僕の中の闘いもまた有る。
それこそが闘う意味でもあるし、走り始めた意味でも有る。

ナゼ走り出したのか?
ナゼこの方法だったのか?
僕は彼らから離れる為に、彼らと違う世界に生きることを宣言する為に、走り出したはずだ。
彼らとは人生の目的地が違うことを証明する為に僕は闘い始めたはずだ。

明確な違い、形として残るものを求めていた筈だ。

それが正しいことなのかは分からない。
そしてそれを成し遂げることが自分にとって良いことなのかも分からない。

でも、一つだけ言えるのは、僕がここに向かい始めた理由がソレであったことだ。

手段が目的になる。それは良くあることで、最近もアドバイスを受けたことだが、時に見失いがちになることは百も承知である。

僕の目的は明確に彼らの居る世界から離脱することだ。
僕の心が解放されることだ。
迷いと躊躇いの森の中でも囚われ続けたこの心を次のレベルで闘えるように解放し開放する。それが僕の目的で、手段は明確なる形である。

迷いも躊躇いも僕の弱さに過ぎないし、弱いから闘い続けるのだ。自分自身と。それでいいと思ってる。

とまぁ、意味も分からない文を書き殴り、現実逃避しておく。
posted by Harvey at 06:07| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

水は低きに流れる

水は低い方に流れます。

人間も楽な方に流れます。

僕もまた基本的には楽な方、低い方に流れたい。

楽大好き。寝るの大好き。ダラけるの大好き。
無駄が好き。無意味も好き。ぼーっとして居る時間は至福の黄金時間。

な、訳です。

ただ、やはり、何かを目指す時には、これと振り払わなければならない。
自らを奮い立たせることが出来るもの、それは唯一自分だけ。

自分のmotivationだけが自分を支える。

そのmotivationを支えるのは、本当に様々なことで、家族であったり、過去のトラウマだったり、positiveな感情もnegativeな感情も混在している。
誰かに負けたくない、自分にウソをつきたくない、悔しい、情けない、恥ずかしい、証明したい…などなど。

結局人は気持ちの生き物である。
水が低きに流れるとして、水は自分自身で重力に逆らえないが、ヒトは逆らえる。闘えるのに闘わないのはもったいない。

低い方には何時でもいける。
逆らうのは今しかない。

今を生きろ。その為に立って闘え。
安住するな。安らぐな。満足するな。

その瞬間から転落の種は撒かれるのだから。
posted by Harvey at 03:43| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

ずっと昔から知っていること

15歳くらいの頃 僕は気が付いた

この世界には意味も理由も無い

言い換えれば

この世界にも僕自身にも 何の存在意義も無い

ありのままの状態においては 良いも悪いも無いし
何を目指していけばいいのかも分からない

人間以外の動物達は恐らく何の疑念も抱かず本能に従い活動し続ける

人間は理由を求める故に苦しんでいる

実は何の意味も無いこの世界
実は何一つ存在意義の無いこの生命活動

ただただ虚ろな中で時間が流れるがその時間にさえ意味が無い
悠久の時間の中で僕らは空虚に時を重ねる

成功も失敗も生も死も
愛憎も喜怒哀楽も
単なる自己満足

我々の全ては本当に些細なことだ
この世界にとっては取るに足らないことだ

それでも懸命に人類にとっての自己満足を追求し足掻くことが
人間に与えられた業であるなら
苦しくても虚しくても

諦観を小脇に抱えながらも
ささやかでも希望を掲げて
生きるのが人間らしいのだろうし
それをするのが生きる意味に思える

そういうものを全て放棄して
全てに意味が無いと自暴自棄に陥るのも意味が無い

意味が無いのだから何をしても意味が無い
人間はそういう生き物ではない気がする
人間はもっとこう悪足掻きをする様なそして或る意味もっと好い加減な
都合のいい生命体であろう

僕も僕なりに人間らしくそれなりに都合よく生きようかと思う
まぁ僕にとっての都合の良さが意味するものは自分で引いた線に自分で付加した意味を基本的に信じるってことなんだけどね
posted by Harvey at 04:39| ニューヨーク ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

旅立つことを決めた頃

いや、とにかく忙しいので、最近全く更新出来ていません。
でも、元気です。それなりに。

苦しいけど、まぁそれなりです。




でも、久々に例の夢を見たけどね。
もう4年以上も昔のことになるなんてね。
1年以上、毎晩毎晩見続けてうなされ続けて怒り続けて苦しみ続けたあの夢ですが。
まぁあの頃は煙草吸っても空見ても、仕事中は忘れてるけど、休憩中は思い出す。独りで飯食ってても思い出す。
一日の中で独りで居る時間で歯を喰いしばらない時間はほとんど無かった。
夢の中でさえ苦しんでた。
怒りに震える時間だけが過ぎていった。
怒りと哀しみ。絶望と失望。

時間は人の心を癒すんだと言うことがよく理解出来ます。
でも、まだ、僕の心の底には、沈んでいる。
時が流れず積み重なるように、僕の記憶も失われず闇の底に沈んでいる。

思い出せと時折やってくる。

そうだった。僕が闘い始めたのは。
そうだった。僕の最初の時の気持ちは。

身を切るような痛みと
心が捻じ切れる様な憎しみと
世界を失ったような心の穴と
生きる

そういうものを全て抱いたまま僕は生きる

奴らには遥かに手の届かない遠くまで
僕は行こうと思ったんだ
誓ったんだ

僕が進めば進むだけ
彼らから離れられる

絶対に行くんだ
どんなに苦しくても行くんだ
どんなに楽な道があっても止まらないんだ

僕はあの頃そう決めたのですわ。

僕の業が僕に艱難辛苦を与える。
だからこれは僕の選んだ道。
僕の信じた道。
苦しくても辛くても遅くてもダメでも挫けても折れそうになっても
その道を突き進む、そういう心を信念と呼ぶ。
それが僕の行く道。
僕が行こうと決めた道。
僕の未来へと続く道。いや、僕が未来でも歩き続ける道。
この道を降りることは無い。
降りるのは死ぬ時である。
posted by Harvey at 05:57| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月11日

幸福と不幸と僕

人の不幸は蜜の味

まぁ確かにそう思うことも有る。

だが、はっきり言って人の不幸を楽しんでいる程に暇ではない。
自分が認めていない人物や知り合いの不幸は、蜜の味ではなく、当然の結果であり、ああ、そうか、と思うだけだ。
そうなって然るべき人だから、僕は認めていないのだから。
その不幸を招いたものが何なのか学ぶべきことは有るが、それだけだ。

自分の信用している人達や、好きな人達の不幸は、やはり悲しい。
それは自分のことに重ね合わせて考えるからだ。
これは蜜の味どころではない。これが蜜の味なら自分の不幸も蜜の味だ。


他人の幸せはどうだろうか。

僕は見ず知らずの他人の幸せを心から祝える程には人間が出来ていない。
だが
知人の幸せくらいは心から祝える人になりたい。
実際友人の幸せは素直に嬉しいことが多い。
僕は比較的、素直に友人の幸せを祝福出来る人間だと思う。
ただ、結構冷静に分析してしまいますが。それでも、祝福する気持ちには翳りは無い。
あまりリアクションの大きな人間ではないので、伝わり難いが、結構祝福してるよ。

これからも、どんな時も変わらずに友人を祝福できる、そう言う人間でいたい。

自分を信じていれば、他者を羨ましがる必要など全く無い。
僕は他人を羨ましがる人の気持ちが全く分からない。
他人と僕は違う。僕は僕の道を行く。
別の道を行く朋友の幸せは、僕にとって重要なものだ。
僕らの進む道は別々でも、進む方向はきっと似ている筈だから。
僕はそういう人達に囲まれていることに感謝している。
posted by Harvey at 11:04| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

理性と野性

僕の人生を端的に表すことばは間違いなく 理性 だ。

理性は野性の対極にある、と定義する。

野性は自分の中に湧き上がる衝動や、本能的な欲望全てを指すものと考える。

理性は、それを抑える、いや、コントロールする制御装置の様なものだ。

理性が無ければ人ではない。僕はそう強く信じているし、理性の無い人間など見たことが無い。と思う。

誰でも多かれ少なかれ理性を持ち、常識や規律に自らの野生を従わせているはずだ。

理性と野性の間には 葛藤がある。
理性と野性から産まれる葛藤の奥底には、間違いなく虚無感がある。

葛藤してこそ人生。
だが、それに何の意味があるのか。

人生はただただ空しい。
この命に何の意味があるのか。
その想いには何の意味があるのか。
本当はただただ虚しい。

17歳の秋、僕は世界が虚しいことを知った。
僕の人生も虚しい事が連なるものと自覚した。
それから10年以上が経ち、空しさに身を浸すだけの自分にもそろそろ飽きて足掻くことにした。

丸くなったなどと軽々しく言うが、大人になることは鈍くなることで、野性の騙し方や逸らし方が上手くなり、理性の機能不全を取り繕うことが上手くなることだ。
そして無事に社会の構成要素の一輪になる。
野性が野性味を失い、理性が真なる制御力を失ったとき、葛藤は自己満足に摩り替えられ、虚無感は日常に埋没した。

本当は人生は虚しいもので、人の営みは永遠に空虚である。
創り、壊す。そして産まれ、死ぬ。

だが、空しい想いを抱えても、今、この時間に進もうと足掻こうとする姿は、人であることの証にも思える。だから足掻くこともそれなりに意味がある。

恐ろしいのは、この世に何か実りがあると信じることだ。
そんなものはきっとこの世には無い。
有るとすれば、それはそれぞれの精神世界の中にだけだ。

我々は何れこの星から消え去る運命にある。
この星の方が先に寿命を迎えるかも知れない。
若しかしたら太陽が先なのかも知れない。
何れにせよ、全ては消えるだろう。そこに果実など残るはずが無い。

でも、僕が今日も生きるのは、人としての本能であり、野性だと信じる。
この生命のある時間、もがき足掻くことが、生命体の本能であるとすれば、その野性に従っている時間は僕と言う生命体にとって至福の刻である。虚しさの中で漂っていた頃に常に背負っていた罪悪感の様なものはそこには無い。今有るのは、己の無力への怒りくらいか。

気紛れな野性を、揺れ動く理性で支えながら、葛藤の中で、もがく。
それでいいとも想う。この諦めこそ虚無感の極致であり、僕の中にあるものだ。
僕独りがどうなろうと、明日も朝は来るし、風も止まない。
posted by Harvey at 22:49| ニューヨーク ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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