2008年03月03日

Flashback、多摩堤通りを北へ

それはかつてのお決まりのコース。
裏道を駆使して教習所の横から多摩堤通りへ。
そして多摩堤を下りガス橋を渡る。
帰り道はその逆で。多摩堤を北へ。北へ。

喪ったものはもう戻らない。
選んだならばもう選び直せない。
人生が選択の連続であるが故に、その選択こそが人生だ。
多くの場合本当に欲しいもの両方は選べない。
道が二つに分かれているのだから、僕は両方には行けない。

護りたいものと護れるものが同じとは限らない。

出来ることと、やりたいことが同じとも限らない。

本当に欲しいものと本当に大事なものが同じなんて都合のいいこともあまり無い。

全てをやると誓うことは独りならば可能。
だが、独りで生きると言うことはそもそも不可能。

僕は選んだ。にも係わらず取り戻しに走った。

そして知った。
人の心は一所に留まらない。

そして理解した。
無邪気に欲望のまま選ぶことの罪。

そして呑み込んだ。
誰も僕を救えない。救えるのは僕自身だけだからだ。
僕は僕の方法で生きるしかない。孤独だけが僕を強くするからだ。

爛れたままの心で走る真夜中の多摩堤は静かだった。
ハンドルを握る手に力など無く。
煙草を咥えたままの横っ面に生気など無く。

目線漂う中空に、ただ、彼方の対向車の白い明り。遥か彼方の先行車の赤い瞬き。
無間と思える一本道は僅か15分余り。
悲劇的な曲ですら、自分の苦しみには遥かに及ばない。そんな夜。

アクセルを踏んで、空虚な胸の穴を埋める。
空しい夜。そしてただ、夜の街を走る。




時間は経った。だが、結論など無い。答など無い。有るのはただ、積み重ねる日々と、既成事実の様に気が付けばそこにある、夢や目標と言う名の束縛だ。

だが、その束縛こそが、あの夜に僕が呑み込んだもの。
僕が選んだとても大切なものだ。

そう、
人間はそうとでも信じなければ生きて行けない生き物でもある。

そして僕は、
人間で有る事を止めるわけにはいかない。
posted by Harvey at 10:32| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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