2008年02月04日

日本らしさ

謹慎して嵐が過ぎるのを待つ、これが一つの日本的問題解決法。
別名、雲隠れしてほとぼりが冷めるのを待つ法。
言い換えれば、やり過ごして全て先送りする何も解決しない解決法。
頑張って言えば、時が全てを解決してくれる、と言う果報は寝て待て的解決法。

まぁ所謂失言の類ではあるんだけど、倖田來未の発言後のHPで謝罪⇒活動自粛と言う動きを見ていて、ほんと、日本って変わらないな。と思った訳です。メディアの受け止め方もまた変わらないと言うか、全然ダメですね。自粛するのが当たり前、みたいな。

自粛してる間、メディアが騒ぎ立てるけど、あっと言う間に次の事件が起きて、気がつけば皆事件を忘れてる。もう次の事件に興味が移ってる。そういうのが日本では何時も繰り返されていて、どんどん事件自体が消費されて行く。そして何も残らないし何も解決されない。

殺人事件とか薬害事件とか、そういう類の事件もどんどん風化する。それを押さえる為に遺族が多大な犠牲を払って活動しているが、それでもどんどんと風化していく。長崎のスポーツクラブでの射殺事件、あれ程の事件で有りながら既にやや記憶の中の出来事になりつつあることに愕然とする。メディアはその場では騒ぎ立てるがそこから先は無い。報道はするが責任は無い。言論の自由を振り翳すが、そのペンは金を生む魔法の杖であり正義を糾す剣ではないし、何より闘い続ける意思などもともとない。

倖田來未の場合、完全に失言だし、僕みたいな夫婦ともども30代の人間にとっては正直不愉快極まりない発言だけど、多分10年前だったらそれ程騒ぎにならなかったはずだ。ネットがこれだけ普通にアクセス出来る様になると、ちょっと普通じゃない出来事は瞬間的に記録される。今回はそこに、この発言のあった番組自体を録音してた人がいて、発言部分がネット上に出回ったらしいから、とても今的な情報の拡散の仕方である。とにかく早いし、とにかく消えない。今、公的な場での顔を出しての発言は100%市民により検閲を受けている状態と言えるのではないか。
部分的な発言を切り取って、人格全体を否定すると言う日本人的な攻撃手法も気に入らないのだが、何よりそれについて祭り上げておいてその後に飽きてくるとほったらかしにするメディアと世間の姿勢には余計に不愉快である。次から次へとターゲットが出てくるので、何れ皆の興味が次へ移っていく。

ホントにこれでいいのか、と考えればやっぱり良くないだろう。
倖田の発言に対する対処法も、現在のイメージを維持したままでの早期復活にはベストの選択と所属事務所とかが考えてるんじゃないかと思うんだけど、筋としては「やっぱり発言は失言だった」とか、「言いたかったのは35歳を過ぎると妊娠しにくくなるからそれ以前の出来るだけ早い時期から子作りにチャレンジして!と言う意味だったとか」謝罪だったり、謝罪と言うよりも言い直しなり、何かのアクションをして、で、別に長々と謹慎しなくていいんじゃないかとも思うのだが。
アメリカのケースで言えば、問題発言で波紋を広げても自発的に謹慎ってあまりない気がする。メル・ギブソンの場合は業界から干された感じで仕事が無くなりそうになってたけど、謹慎と言う感じじゃない。まぁパリス・ヒルトンやニコール・リッチー、リンジー・ローハンとかは問題行動で刑務所まで行ってるのでケタが違うけど、それで禊を済ませて普通に社会復帰してくる。。。でも彼女達のは犯罪だからね。倖田のはEthicsの問題とか差別発言(年齢差別)の方になる訳だから、全く違ってくるはず。ちょっとここで具体的に比較出来ないけど。

でもやっぱり、ただ謝罪・謹慎じゃ、何も解決しない。問題の抜本的解決をしないで先送りする日本的体質の典型なんじゃないかと思う。

僕が彼女に言えるのは、自分が25歳で彼氏も居るし余裕だと思ってると思うけど、35歳なんてまさに瞬間的に来ちゃうよ、ってこと。10年あるから私はダイジョブ!と思ってても、時間は早い。ガンバレヨ!ってことですね。
posted by Harvey at 01:21| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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