2008年01月15日

祈りの意味が分かった時に見えたこと

人間が神に祈ると言う行為は僕にとって縁の無いものだと思っていた。
もうずっと長い間そう思っていた。

僕には祈るべき神も居ないし、信じる神も居ない。
信仰と言う発想は基本的に育まれないまま、30代を迎えている。
それはきっととてもとても、幸せな事なんだと思う。

祈りとは何なのか。僕には分からなかった。
何故なら、神に祈る必要なんて無かったから。
自分の生き方は自分で決めるし、自分の心の向きだって自分で決められる。
自分の悩みなんて自分で解決するし、解決出来なくても、相応に心を切り替えられる。
神は僕の胸の中だけに居る。それが僕の信条だ。
神への祈りと、自分の先祖や既に無い家族・友への祈りは、また少し性質が違うものだと思っている。

だけど、神に祈ると言う行為にしか、救いを見出せない瞬間と言うものがある、と言うことを知った。


贖罪

文字では僅か二文字。容易く文字は刻めるが罪など容易には贖えない。


謝罪

己の罪深さを知ればただ項垂れて許しを請うだけになる。


自らのあずかり知らぬところで起こった不条理が、自らの業を起点としたモノであった時、その出来事が自分の大切な何かを全てぶち壊してしまうのかも知れないと感じたとき、僕には祈る以外の方法が無かった。


分かった事ははっきりしている。
僕には大切なものが出来たんだということです。
自分自身ですら、破壊したかった僕に、護らなければいけないものがあると言うことは凄まじい転向です。

人間ってのは、時間と共に、変わっていく。
失くしてしまった沢山のモノが開けたこの空洞には、もう以前よりも多くのものが犇めいていて、ただただ、前に進む事でしか、渇きが癒せなくなって来ている。

これが生き続けた結果だ。
僕が生き続けて来た結果だ。
posted by Harvey at 13:51| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。