2005年07月11日

テロと闘う世界って?

ロンドンで爆弾による無差別テロ事件が起きた。
正直言って、かなり暗い気持ちになったことは否定出来ない。
それと同時にどこか他人事の様な気持ちを持ってしまったことも否定出来ない。
とうとう起きたか。NYは狙われなかったんだ…。これが素直な第一印象である。
今回はNYの番ではなかった。
NYでのあのテロのとき、僕は日本にいた。だが、あのテロの傷跡は深く深くこの街に刻まれていて、決して消え去ることは無いのだとこの街で暮らしていて感じている。でも、それでもやはり少しづつ記憶は薄れていく。人間は忘れることが出来る生き物なのだ。
そしてまた、WTCの跡地も既に事件直後の面影を失いつつある。

一番怖いことは、麻痺していくことだ。
ロンドンで起こるテロは非日常である。
イラクで起こるテロ(戦争行為としか言えないとは思うが)は日常である。
前者について我々は衝撃を受けるが、イラクの日常的な爆弾テロにはそれ程の興味を抱かない。まだやってるのか、かわいそうに。その程度である。いや、友人や家族をこの戦争で失った人々や、今彼の地に家族や恋人のいる人々はそうは考えないだろう。それは自衛隊を送り込んでいる日本も同様である。だが、それ以外の人にとってはどうか。
恐らくそのニュースは垂れ流され、刺激を失い、それ故に注目度が下がっていく。
毒物に少しづつ浸されて感覚を失って行く様に、麻痺していくのだ。
心が麻痺していく。
感情が慣れてだれていく。

それはきっと恐ろしいことだ。
このままでは、10年後の世界では、数ヶ月に1〜2回は世界各国の大都市でテロが起きる様な世界になるかも知れない。そして僕らは思うのだ。またかよ。今回はNYも東京もやられなかったから良かったなぁ、とか。知人や自らの命が危機に陥るまでは目覚めることなく、皆が麻痺した世界。その麻痺は若しかしたら、テロの現実を無視して軽視した、不感症が原因かも知れない。

NYの人々は極めて平静だ。
ロンドンのある紳士の言葉は胸に響く。
「こんなことでロンドンっこは負けない。テロにも打ち勝つし、オリンピックも成功
させるよ」

※村上龍主催のメールマガジンJMM、『ロンドン〜スクエア・マイルから』 丸國葉氏の臨時号「TARGET LONDON」より引用

これは本音だろう。市民の意地で有る。我々はいつもの様に行動する。それがテロとの闘いの始まりだからだ。
しかし、NYの人々はそうだろうか?恐らく否。
アメリカ人は多くの人々はかなり楽観的だし、あまり先のことは考えていない。(すっごい偏見だが実際にそう見える)
彼らも衝撃を受けたとは思うし、身の安全を改めて守らなければと考えたと思う。でも、どこか麻痺し始めているのではないだろうか。

テロとの闘い。そう叫ぶ政治家の言葉に、踊れるほど皆暇ではないのだ。

個人的には武器を持ってテロと闘うよりもやらなければいけないことがあると思う。
第3世界を搾取し、世界に巨大な貧富の差が有るこの世界。貧しさと無学がテロを生んでいるとしか考えられない。どうしたら、世界からこうした理不尽がなくなるのか、真剣に考えなければならないと思う。本当のテロとの闘いとはそういうものではないだろうか。
理想論でしかないとは分かっているが、理想すらない世界より余程ましである。

あの衝撃と悲しみを人々にもたらしたものの正体を、真剣に考える時が来ているのだ。
自国の利益と自分の明日にしか興味の無い政治家達には到底無理な問題であるけども。
posted by Harvey at 15:55| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界で起きていること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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