2006年07月12日

無差別テロは人の業か

ムンバイのテロ、詳しいニュースを見ていないので詳細は理解していないし、触れるつもりも無い。ただ、年に数回起こるこうしたテロに触れて想う。

弱者やマイノリティの闘う手段がテロしかない、と言うのは理解出来る。
例えこうした行為を政治的大義名分の確保の為に行う、犯罪集団が居るとしてもだ。

圧倒的強者に対して弱者や少数派が正面切って闘うのは無謀だろう。勿論少なくとも先進国と呼ばれる文明社会では言論の自由ってのが有る訳で暴力手段を使う必要は無い。
でも実際にはほぼ無政府状態の国(イラクやアフガン)や戦争状態のエリア(パレスチナ)では、追い詰められた側は(勿論追い詰める側も)武力を、しかも奇襲でもって駆使する訳だが。

しかしまぁ、無差別爆弾テロ、と言うのはどうなのか。
原理主義者は宗教にも政治にも興味の無い、そういう人間や、それ以前の赤子などもお構いなし。

やはりそういう人たちと言葉で通じ合えるとは到底思えない。
しかし武力は何も産まないこともまた明白。
文化と富により、骨抜きにする。それくらいしか出来ない気がする。世界がもっと満遍なく豊かになれれば・・・と思うが、やはり搾取する側の手綱は緩まないだろう。

資本主義は搾取のシステムであり、強者がより富むシステム。
でも、これが人間の選んだシステム。淘汰され残ってきたシステム。地球上で最も信奉されているシステム。

勿論僕も資本主義を否定するつもりなんか毛頭無い。
しかしまぁ、イスラム教も、資本主義も、共産主義も、極端に走れば害を為すってことだと思う。

何事も中庸が大切。そのバランスのとり方が一番難しい。
しかし、先人達がどれくらい、考えてきたのか。
人間の愚かさは底なしである。

やはり、全てを支えるのは教育、なんだろう。日本の未来がどうなのか、今の僕には判断しかねるが、明るくないことだけは間違いない。
我々が変えて行かなければ、日本も世界も、バランスを喪うだろう。
使命感を持って生きて行きたいモノである。
posted by Harvey at 12:29| ニューヨーク 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界で起きていること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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