2008年07月24日

垂れ流される情報、そして悲しみだけが積み重なって行く

通り魔事件が起きると、「誰でもよかった」というコメントが垂れ流される。

犯人が判明すると、親を名乗る者がTVに向かって自己弁護を繰り返すか、無意味に自身の不明を嘆く。

報道が一段楽するかしないかの内に、次の不可解な事件が起こる。
メディアの興味は直ぐに次に移り、怖いとか、世の中おかしい、とか、日本の治安は悪くなった、と言う何の解決にも誰の得にもならない無意味な言葉だけがソコに残される。

そして、悲しみだけが積み重なっていくのだ。

ただ、悲しみだけが積み重なっていくのだ。

何故、隣人に暴行された挙句、切り刻まれてトイレに流されねばならないのか。家族の怒りや悲しみは想像を絶する。

何故、ただ道を歩いていて、刺し殺されないといけないのか。ひき殺されるのか。本屋で刺されるのか、駅で刺されるのか。街で刺されるのか。顔見知りのストーカーに撃たれなければならないのか。理不尽が積み重なるこの世界は誰が作ったのか。

誰もが容易に動画を撮れるが故に、衝撃的な犯人の映像が晒される。
警官が訓練を積んだだけの普通の人間であることも晒される。

何をどう怒ればいいのか、それすらよく分からない。
だけど、分かってる事は、社会全体がもっと真剣に教育や道徳、社会と個人の係わり方、雇用の形態、セーフティネットの確保などの色々な事を考えないといけないと言うことだろう。

正社員じゃない人たちが起こした事件だから、雇用の安定性を高める為の法律を作る、と言う短絡的な発想を、日本の政治家は直ぐに抱くが、大きな間違いだし、大きなお世話だ。企業が辛うじて支えている日本経済を、どうする気なのか。もっと真剣に妥協点を探すのか、セーフティーネットを確保するとか、雇用の流動性を高める様な仕組みを作る方が余程大切だ。

クールビズの宣伝に掛けている金額の半分でも、日本人の雇用の流動性を高める為の啓蒙活動に使えばいいのに、とも思う。

だが、いずれにせよ、悲しみが積み重なるこの国に、若者が希望を持てるのか、僕には自信が無い。

通勤列車の中の、死んだ目の、他人に無関心な人々の群れを見るたび、僕は思う。この国には希望が無いのではないか。

生きる、と言うことにもっと真面目に取り組むべきだと、今、心から思う。
posted by Harvey at 00:50| ニューヨーク ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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