2008年01月18日

Footballの深さ

Football、と言う言葉はアメリカでは混乱を招く。アメリカンフットボールが当地ではFootballだから。

そんな理由でなんか知らない内に、Soccerと言う風に呼ぶようになってるけど、でも、僕にとってFootball=Soccerだから、まぁ実はどっちでもイイ。

そんなFootballが僕は好きです。
何で好きかって言えば、Footballは世界を映し、世界を超えて、世界を変えることすら出来るかも知れない、唯一のスポーツだと感じるから。

これは野球少年の人たちには分からない感覚なのかも知れないけど、野球では欧州が見えない。南米もあまり見えない。ラグビーではアメリカが見えない、南米が見えない。ゴルフは金持ちのスポーツだし、テニスもそう。SKIには雪山が居るし、道具も必要。そんなこんなでサッカーが一番容易く始められ、競技人口数も多い。

Footballの選手には富裕層の子や独裁者の子も居れば、スラムから這い上がってきた人達も沢山居る。移民の子も帰化した人も居る。その普遍性に惹かれる。

Footballは地域と共にある。Footballは国と共にある。そのプレースタイルやチームのスタイルには土着の風俗が染み出ていく。

Footballは政治に翻弄され、人種差別に弄ばれることもあるが、必死にそれを乗り越えようとする。

W杯とチャンピオンズリーグ、世界クラブ選手権、それらがますます商業化されて行く中で、Footballの世界がこれ以上穢されないことを、心から祈る次第である。
posted by Harvey at 12:06| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカーにまつわること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

祈りの意味が分かった時に見えたこと

人間が神に祈ると言う行為は僕にとって縁の無いものだと思っていた。
もうずっと長い間そう思っていた。

僕には祈るべき神も居ないし、信じる神も居ない。
信仰と言う発想は基本的に育まれないまま、30代を迎えている。
それはきっととてもとても、幸せな事なんだと思う。

祈りとは何なのか。僕には分からなかった。
何故なら、神に祈る必要なんて無かったから。
自分の生き方は自分で決めるし、自分の心の向きだって自分で決められる。
自分の悩みなんて自分で解決するし、解決出来なくても、相応に心を切り替えられる。
神は僕の胸の中だけに居る。それが僕の信条だ。
神への祈りと、自分の先祖や既に無い家族・友への祈りは、また少し性質が違うものだと思っている。

だけど、神に祈ると言う行為にしか、救いを見出せない瞬間と言うものがある、と言うことを知った。


贖罪

文字では僅か二文字。容易く文字は刻めるが罪など容易には贖えない。


謝罪

己の罪深さを知ればただ項垂れて許しを請うだけになる。


自らのあずかり知らぬところで起こった不条理が、自らの業を起点としたモノであった時、その出来事が自分の大切な何かを全てぶち壊してしまうのかも知れないと感じたとき、僕には祈る以外の方法が無かった。


分かった事ははっきりしている。
僕には大切なものが出来たんだということです。
自分自身ですら、破壊したかった僕に、護らなければいけないものがあると言うことは凄まじい転向です。

人間ってのは、時間と共に、変わっていく。
失くしてしまった沢山のモノが開けたこの空洞には、もう以前よりも多くのものが犇めいていて、ただただ、前に進む事でしか、渇きが癒せなくなって来ている。

これが生き続けた結果だ。
僕が生き続けて来た結果だ。
posted by Harvey at 13:51| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。