2007年04月27日

何処まで来たのか

僕が子供の頃に持っていた地図には行き先は書いてなかった。
いや、地図すら持っていなかったのかもしれない。
それは地図に見えるだけの、誰かの落書きだったのかも知れない。

15歳の頃、僕が描いた地図には高校卒業までに辿り着きたい場所だけが記されていた。中学3年の3学期、高校1年、高校2年、高3、ただ、毎日練習を積んで行けば、僕は夢を叶えられると信じていた。

高校時代に握り締めていた地図が、寝起きに夢を殴り描いたメモの如く、叶わぬ夢と知ったとき、僕には次の地図が描けなかった。

大学4年間は地図の無い旅。
いや、旅にすら出ていなかったのか。
死への浅はかな羨望と親愛の情を感じながら、同様に生を断つ必要性にも迫られなかった。苦しかったがそれなりに喜びも有った訳だ。と言うよりも、欲望はそれなりに満たされていた。

社会に出て、僕は他人が期待しているで有ろう絵を描き、地図を描いた。それはきっと子供の頃に持っていた地図に酷似するもの。

そんな無意味な地図を守ろうとしたあの日。
そしてそこまでして護った地図を破り捨てたのは、その数日後。



それから、空洞の出来た心の中にただただ、想いを詰め続けた。
地図は無い。行き先も無い。
ただ、彼らの地図には無い世界に行きたい。


今、僕は地図を手に入れた。
まだ漠とした色、曖昧な行き先、粗なる方角。
でも、この地図はきっと最後の地図になる。
この地図を描き直しながら歩くことになる。

ただ、現時点で、僕が何処まで来たのかは分からない。

捨ててしまった地図はもう手元には無い。
持っている地図はあの頃との繋がりが希薄である。

僕自身は
永遠に交わらないことを願いつつ
何時か何処かで対峙することを望んでいるのだろうか

一つだけはっきりしていることは
火に投げ込んで消えてしまったあの頃の理想郷を思う時、僕の心を支配するのは苦しみでも悔恨でもなく、怒りだと言うことだ。

この思いがある限り、僕は生きていけると思う。
自分に背を向けず、生きていけると思う。
今となれば、生きる為に僕は置いて来たのだ。
二度と取りには帰らない。いや、もう見つかるはずもない。
探す気も無い。

さよなら、なんだよ。

posted by Harvey at 16:02| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 言霊の在処 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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